知らなかったの、「まる」のこと


文:大森ちはる

誰もが知っているお酒、「まる」

「はくつる〜」「まる!」
お酒を飲まない人でも、きっと応えられると思う。我が家の娘5歳も、CM効果ですっかり刷り込まれている。お馴染みの、いわばベタな、コール&レスポンス。でも、そういえば、私、「まる」のことをよく知らない。もし「『まる』のことを教えてください」と訊かれたら、合言葉に「!」をつけて嬉々として応えるのと同じテンションでは、まったく語れない。

パッケージは知っている。あの大きくて真っ赤な紙パック。真ん中にどん、と太く描かれた「◯」の一筆。実家の台所にあった。祖父母の家の台所にも。ふだんは色味の少ない流し台の上に、おかずの支度がはじまると姿を現わす、背の高い、ビビッドな赤色。料理酒のように鍋に注がれる「まる」。そして、ああ、そうだ。祖父が元気だった頃、「まる」は、ごはんどきになるとテーブルに場所を移して、祖父のコップに注がれたりもしていた。けれど、その味を、私は知らなかった。風味の印象が、まるでなかった。家で、お店で、手に取ったことがなかった。

凄まじいこだわりがつくっていた、「いつもここにいるよ」感

ベタで未知な「まる」。あれ? と思ったのは、去年、白鶴御影校のイベントに参加したときだった(※1)。料理のペアリング相手に出てきた「まる」を前に、隣の席の夫に「『まる』飲むの、初めてかも」とポロッと言った。……え? 自分の口をついて出た言葉に驚いた。あんなに見知っているはずの「まる」を、こどものときから側にあった「まる」を、「まる」を「まる」と認識して飲んだ経験がなかったことに、このとき初めて気がついたのだ。なんでやねん。

可笑しくなった。お酒は、好きだ。「ドコソコのナニソレが美味しい」というウンチクは持ち合わせていないけれど、和食のお伴はやっぱり日本酒がいいし、旅行をすれば地酒を買って帰る。それでいて、「今日は家で一杯」なんていう日に、お店の陳列棚に並ぶ「まる」は、まったくの風景。無意識のうちに、選択肢から外していた。おそらく理由は、「知っているお酒」だから。ベタはお化けだ。知っていることなんて、「まる」の名とパッケージだけやないか。

そしてその日、二重で可笑しかったのは、いざ飲んでみたら「あ、どうも! お久しぶりです」な味わいだったこと。たぶん、決して少なくない人にとって、いわゆる「日本酒」の原風景ってこれなんじゃないだろうか。甘すぎも辛すぎもせずクセのない、全方位的な「いつもここにいるよ」感。にもかかわらず、どこで出会っていたのか、記憶が定かでない。

別の日に参加した工場見学(※2)で教えてもらったところでは、あの「いつもここにいるよ」感を醸すために、白鶴さんは凄まじいこだわりを注いでいるらしい。そう聞いても、最初はピンとこなかった。「まる」のようなイッツ・ザ・大量生産なお酒って、工場の大きな機械でジャバー、グルグル、プシューッて、オートマチックに管理してつくっているんでしょ? と思っていたから。でも、ぜんぜん違った。お酒をお酒たらしめるのは、麹菌と酵母菌。彼ら微生物の動きを常に追って変わりゆく風味を調整しつつ、できあがった何種類ものお酒を足したり引いたりブレンドして、知見を結集して「均一」を保っているのだそう。そういえば、DEMOくらしのインタビューで工場長(当時)も言っていた。「まったく同じものができるというのは、機械とか非生物的な世界。生物が介在するということは、偶然性が入りますよ」(※3)。

そもそも、今でこそ「いつもここにいるよ」な「まる」にだって、「はじめまして」なニューカマーな時代があったわけで。「まる」特設サイトに、その誕生秘話が綴られている(※4)。風味も容器(紙パック)もその名前も、1980年代当時としてはかなり攻めた、挑戦者として登場したらしい。名前なんて、最初は「こんなわけの分からん名前はダメだ!」と、社内でけちょんけちょんだったそう。それが今や……である。30余年、長く永くこだわって、微生物と向き合って、育まれてきたんだなぁ。そんなこと、ちっとも知らなかった(特設サイトの存在だって、この原稿を書いていて初めて知った!)。

「ああ、アレね」で見逃していること、いっぱいありそう

ベタを、知ろう。とくに日本酒は、「大衆性」よりも「希少性」が尊ばれている気がする。そこでしか買えない、小さな酒蔵がつくる地酒と同じように、大手メーカーが工場から全国に送り出すお酒だって、美味しさに賭けた「こだわりの逸品」なのに。どちらも相応の手仕事がはいっているのに。たしかに、「みんなが知らないもの」を知っている方が、「みんなが知っているもの」を知っているよりもツウな感じはする。でも、だからって、「知らないもの」ばかりを深掘りして鉱脈を見つけて珍重したり、「知っているもの」を地表10cmで「ああ、アレね」とわかった気になっているのは、ちょっと違うかも。

ながく大衆的であり続けているものたちは、懐が深い。「ああ、アレね」と扱われたところで、目くじらを立てたりはしない(気がする)。そこにもたれかかっていろいろ見逃しているかもしれない、もったいないことをしているかもしれない、と「まる」を通して思った。

(※1)舌と脳でマリアージュを味わう ~白鶴御影校~(リンク
(※2)杜氏の魂と近代工場の工夫。人にやさしい酒造り 〜白鶴御影校〜(リンク
(※3)白鶴酒造株式会社の3号工場・工場長の伴さんに教えてもらう 【2/5】(リンク
(※4)まるの歴史|白鶴 まる|白鶴酒造株式会社(外部リンク

【あとがき】
神戸の春の名物、いかなごのくぎ煮。祖母が「炊くから取りにおいで」と言うのでいそいそと向かったら、やっぱり流し台で「まる」が存在感を放っていました。赤い! 祖父が亡くなって消費量が減ったので、もう2Lパックは買わず、いまはもっぱら900mlパックだそうです。

保存保存

執筆者プロフィール

大森ちはる(神戸市在住・1982年生まれ)
大森ちはる(神戸市在住・1982年生まれ)
夫とひよこ(娘・4歳)と3人暮らし。2017年春、新卒以来10数年勤めたシステムエンジニアの仕事を離れました。機嫌よく気前よく、生きたい・書きたい・働きたい!