白鶴酒造株式会社の3号工場・工場長の伴さんに教えてもらう
日本酒って、私にも楽しめますか?
日本の伝統文化でもある「日本酒」は、海外でもSAKEとして人気が高い。近年、その良さが穏やかに新しい層へと広がりつつあるとも言われています。知っているようで知らない奥深い「日本酒」について、白鶴酒造株式会社の3号工場・工場長の伴さんに教えて頂きました。日本人が親しんできた日本酒がもっともっと身近で、好きになる。そんなお話でした。
聞き手:湯川カナ(発行人) 構成:やまなのりこ
「私が室町時代に行っても、今と同じようなお酒を作れるでしょうね」
湯川:日本酒の歴史って、どこら辺から紐解いていったらいいんでしょう?
伴:そうですね。日本酒造りの原型は、「延喜式」という古い書物に載っているんですけど、米を原料にした酒は奈良時代が発祥って言われていますね。で、現代の形になったのは、室町時代頃かな。
※延喜式(えんぎしき)とは、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、全50巻、約3300条からなる、三代格式の一つ。(wikipediaより要約)
湯川:ん?現代の形?
伴:昔の酒は、精白せずに玄米のまま使っていたんですね。現在のように麹と米の両方を精白するようになったのが室町時代と言われていますね。
湯川:麹も精白するんだ…。で、麹って何ですか?
伴:麹というのは、米の表面に食用のカビを生やして、甘くしたものですね。

麹(こうじ)
湯川:お米がなかったら、麹はできない?
伴:そうそう。麹も麦やイモといろんな種類があるんですけど、日本酒は米麹がないとできないですね。
湯川:へぇ~。それで、室町時代からずっと製法は変わらず?
伴:そうですね。基本、ずっと同じ作り方ですね。だから、もし私が室町時代に行っても、今と同じようなお酒を作れるでしょうね。
湯川:じゃぁ、室町の人が来ても、お酒を作れるということ?
伴:今と、全く同じものはできないかもしれないですけど、似たようなものは作れるでしょうね。日本酒の作り方は、それほど大きく変わっていないんでね。
湯川:灘(神戸の灘地域)は日本一の酒どころと言われていますよね。今でも、日本で一番お酒を作っているんですよね。でも、どうしてなんでしょう? 原材料は、お米と水と麹なんだし、他の地域でも作ろうと思えば作れましたよね。
伴:う~ん、要素はいくつもあるんですけど、まずは「水」ですね。この地域の水が、酒造りに適していたんですね。酒造りは「酵母」という微生物を使うんですけど、昔は培養技術もないし、自然に沸いてくる酵母を使っていたんです。酒造りをするには、その酵母がどんどん増えていかないといけないんですけど、ここの水は、酒造りに必要な酵母の成育に適していたんですね。

自社工場から見える山並み
湯川:へぇ~。水かぁ。
伴:あとはね、六甲山の先に米の有名な産地があったんです。
湯川:なるほど!
伴:もうひとつあって、ここが一番重要かもしれないけど、昔は米を精米するには、非常に労力がいったんですね。でも、ここは急斜面の川があった。それで水車で精米ができたんです。
湯川:なるほど!そっか。利根川や淀川みたいな、穏やかな川ではダメだったんですね。
伴:そうそう。急流だったから「水車精米」ができた。それが大きいかな。
湯川:ふ~~ん。
伴:さらに言うと、浜がすぐ近くにあったので、江戸にすぐに運ぶことができたんですね。その浜を埋め立てて、瓶詰工場ができましてね。
湯川:なるほどね!山の上にお米の産地があって。山から水が流れてでき、流れてくる川でお米を精米して、ここでお酒を造って、浜の近くで瓶詰めして、船で…って、すごく便利ですね。
伴:そうそう、そんな感じ!地の利を活かした酒造りができたということなんですね。
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