ショートコラム

私が眠る場所。

文:山本しのぶ

田の字の左下の和室

岐阜の山あいにある実家はおそらく築100年を超えている。古い家なので、時代や家族構成の変化に合わせて、少しずつ改修しながら暮らしている。そんなわが家でずっと変わっていないのが、4部屋の和室。いわゆる田の字と呼ばれる配置になっており、ふすまや障子を開け放つと各部屋をつなげて使うことができる。

その4部屋の一角が祖母の部屋である。田の字の左上の四角の部屋の左隣が玄関とすると、左上の四角がいわゆる客間、右上の四角の部屋には神棚と仏壇があり、右下の四角の部屋に床の間がある。お客様が出入りすることがあるのは、これら左上・右上・右下の3部屋で、残りの左下が祖母の寝室となっていた。ちょうど、お客様用の表の空間と家族が普段過ごす裏の空間のちょうど間にある部屋になる。

昼寝と寂しさと祖母の寝言

私が、まだ言葉もおぼつかない小さな頃。おそらく夏だったと思う。掃き出し窓を開け放ち、裏からの風が入ってくる祖母の部屋で、私は畳の上に敷いた小さな布団で昼寝をしようとしていた。祖母は私を寝かしつけようと、うつぶせになった私の背中をとんとんと軽くたたいていた。しかし、私はそれが気になって仕方なかった。「たたかんで、おかおかして」(たたかないで、なでなでして)と言って、祖母を苦笑いさせたのを覚えている。

もう少し大きくなって、おそらく幼稚園の年長か小学校の低学年くらいの頃。私は三人姉妹の長女となっていた。私たち姉妹は2階の和室で両親と寝ていた。大きな布団の真ん中に母、その左右に妹たち、その隣に敷いた布団に私、さらに反対側に敷いた布団に父という形で眠っていた。母の両隣が小さい妹二人であることに、すっかり慣れてはいたけれど、寂しい気持ちが強まることもある。そんなときは、祖母の部屋に布団を敷いてもらって寝ていた。姉妹の中で祖母と寝ることがあったのは、おそらく私だけで、結局いちばんのおばあちゃん子となった。しかし、やはり寝つきの悪い子どもだった私は、祖母が寝しなに聞きながら眠ってしまうAMラジオの音が気になってうまく寝付けなかった。薄暗い部屋、ぼそぼそと聞こえるラジオの語り、祖母の寝息。私は何も言えずに、ただ眠れずにいた。

現在、91歳になる祖母は、その畳の上に置いた介護ベッドの上で眠っている。足腰が弱ってしまい、布団を敷いて横になることは難しい。一時期、離れで過ごしたこともあったけれど、移動が難しくなり見守りが必要になったこともあり、いまはまた母屋の田の字の左下に戻っている。

祖母は今年の夏に体調を崩し、一時入院が必要となり、その前後に私は一人で帰省した。その時、私は、夫と帰省した時に泊まる離れではなく、2階にある自室のベッドでもなく、田の字の左上である客間に布団を出してもらった。祖母の寝言がときおり聞こえるなかで、私は安心してすっと眠りについた。夜中にトイレに行こうと起き出す祖母のごそごそとした音が聞こえる。私は「手伝おうか」と声をかけた。

私のための「寝床」

昨年購入したマンションには、和室がない。購入する際、リビングと続きの部屋を和室にするか洋室にするかさんざん悩んで洋室にした。「使い勝手」や「統一感」など、いくつか理由はあるけれど、いまから思えば一番の理由は「中途半端な感じがいやだった」からだ。洋室になじむように、色合いを抑えてこぢんまりとおしゃれに作られたモデルルームの畳に、なんだか違和感をもってしまったのだと思う。それでも、夫とは「本当は畳の部屋が欲しいから、必要になったら入れようね」という話もしている。

そして、相変わらず私は、ときどき寝室でないところに布団を敷いて眠っている。夫のいびきがうるさい時は、離れた部屋に。暑くて寝つけない夜は冷房のよく効くリビングに。オールフローリングの部屋でも、やっていることは同じようである。しかし、どうも違う。好きに布団を敷いて眠っていても、そこはどこか仮の寝床という感覚がある。どこか、本来の場所からはみ出してしまっているような。

その点でいうと、畳は自由だ。そんなふうに思う。畳の上なら、どこにだって布団を敷いて眠っていい。本来の場所からはみ出すことにはならない。そして、そこは私のための「寝床」になってくれる。昼寝も、長女の寂しさも、寝つけぬ夜も、介護ベッドも、隣から聞こえる寝息も。どんな眠りも、すべてをその上に乗せて。