【座り込め、妄想しろ、畳の上で。】 ~Vol,002 聖ミカエル教会

文:やすかわのりこ

椅子に畳が使われているなんて。初めて見た時はとても驚きました。ただ、それがゴザを貼ったのか、畳が入っているのかわからなかった。だから、確かめに行ったのです、畳屋さんと一緒に。そして、それをまるで線を引いたかのように真直ぐに並べた人々のスピリットは、畳職人の魂に響いたように見えました。

畳屋が言うのもなんですが…。
ステンドグラスのマリア様が、着物。駐車場の一角にはガーデンではなく、庭。何気なく使用されている机の彫刻が、松・竹・梅。すべて普通に存在している。
畳もそう。日本のものを意識してというのではなく、戦後その当時の身近をそのまま取り入れられたのでしょう。決して「迎合」ではない、凛々しさを感じました。
“教会に畳”という意外性のみを理由に足を向けた自分が恥ずかしくも。
木の椅子では冷たいからということで、ゴザをあとから敷かれたのだろう・・・。きっと畳ではなくゴザなのだろう・・・。畳があると聞いてすぐにそんな想像もしていました。
でも、教会のドアを開けその静かな空間に整然と並ぶ椅子を見るなり、そんな予想はいっきに覆されました。1脚に1枚、畳がしっかりと納まって。(はめ込んでありました。)
最初から畳をはめ込むためにつくられた椅子ということです。
ゴザではなく、畳を。
毎週日曜日には150人もの方が座られるという椅子。
座る場所を決めている人も多くいらっしゃるとのこと。
使用し続けたからこその飴色の輝きと畳ならではの、座った跡が美しい。
シンプルな崇拝を続けられている教会だからでしょうか。
飾らない空間に「普通に在る」畳。
畳屋が言うのもなんですが、カッコいい!                                       ― 畳職人・前田敏康

― Brand new Sunday♪
鼓動さえ拾ってしまいそうな静けさに、感嘆のため息がこぼれた。
ほっとしているのか、張りつめているのかもよくわからない。
古いガラス窓のむこう側には、鮮やかな緑が風に誘われるまま揺れる。
紅い着物のマリア様に迎えられて、足はそっと踵から降ろした。
足音で、私がどんな人間か見透かされそうな気がしたから。
上手くできるかな?畳のはめ込まれた長椅子に、そっと腰かけて目を閉じた。
なんだろな、この空気。
あれだ、あれとおんなじだ。
子どもの頃は休日に限って早起きした、独り占めした真っさらな日曜日。
なんで忘れるかな?
色とりどりのステンドグラスは光と気ままに散歩をしている。
壁に掛けられた不規則な数字、竹の十字架の傾きは、大きな歴史の流れの外れにある、私たちのささやかな日常から生まれた謎なのかもしれない。
こんな気持ちを持って歩き続けたいんだ。
振り返った視線の先、白い日差しに照らされた畳の顔は、いつもと違ってハンサムに見えた。

教会には、畳意以外にも和の装飾が施されているものがあり、その存在は海の向こうからやってきた信仰の「互いに愛し、愛され、許し、許される心を」そんな純粋な思いから生まれたものと感じています。礼拝堂の内装はとてもシンプルです。お祈りをとても大切にした結果、こんなに美しい空間になった。それは、精神を映し出す「洗練された美」でした。

《Data》
日本聖公会 聖ミカエル教会
兵庫県神戸市中央区下山手通5-11-1
※礼拝はご自由に参加できます。
Tel: 078-351-3463
HP:www.kobemichael.org/aboutus.html


【座り込め、妄想しろ、畳の上で。】シリーズ ~vol,001 旧小河家別邸

執筆者プロフィール

やすかわのりこ(三木市在住・1973年生まれ)
やすかわのりこ(三木市在住・1973年生まれ)
趣味も特技も特になし。そんな私も20代は「歌で飯食う!」って決めてました。ライブ明けの帰り道、都会のネオンを見送りながら、「脱・田舎!」と心に誓い、ソフトな家出から大阪に流れ着きました。音信不通だったためフラリと実家に立ち寄ると、あるはずの自宅はなく、足元に広がった更地に言葉もなく立ち尽くす。なんてこともありました。笑