人をまたぐな。

文:やすかわのりこ 画像制作:大森ちはる

人をまたぐな

子どもの頃、よく注意された『人をまたぐな』という言葉(特に大晦日や親せきが集まる宴会の時など)。しかし、大人に近づくにつれ耳にすることも口にすることもなくなっていた。それを生活様式の変化と一言で片付けるのは、少々乱暴であるように思えるのだ。

 

昭和48年生まれの私は、現在、いい歳こいた一人の人間である。のだが、しかし、戦後生まれの父にとって、私はまだ子どもの様であるし、子ども街道まっしぐらの『お行儀の悪い子』でもある。先日も縁側から「イヤッホー!」と家に入ると、床の間の重鎮である父に、「お前、玄関から入りなおせよ」とあっさり言われる。

とても久しぶりな注意に、そういうの懐かしいなって思いながら「オイッス!」と玄関から入り直すが、私にしてみれば、ちょっぴりおちゃめな演出だったのだ。

 

― ところでそれってなんでだっけ?

 

縁起が悪いんだよね。縁側から出入りするのは死んだ人と一緒だから、って言われていた気がする。うちは商売人の家だから、父は『縁起』を担ぐタイプであるけれども、なぜそれを守り続けるのか私は知らない。だから、この話は、私の生まれた家の考え方として、捉えていただけると嬉しい。

 

父曰く、集金に行っても縁側からお金は受け取らない。だから『玄関』での受け渡し、そこが生きている人の出入り口という解釈にきこえる。

 

― そういやさ、最近言わなくなったよね?

 

人をまたぐなって。ついでに、それって生活様式の変化のせいですかね?と一言添えて父に投げかけると、少しだまって言ったのだ。

 

「まあ、そうやろな」。… 仕方がないので二人で少し話してみることにした。

 

父の話では、昔は、お葬式は家でするのが一般的だったようだ。少なくとも、60年程前までは土葬だったらしい。親族のお葬式の際、長男だった父は15歳で御棺を担いで、お墓までの田んぼのあぜ道を歩いた。道は狭く、片側の人は田んぼに入って歩く事もあったそうだ。今を考えると過酷だなと思うけど、そういう時代が父を作ったのだろう。少し話を戻すが、御棺を出すのは縁側からだったという。大抵の家がそうしていたようだ。そして、生前その人が使っていたお茶碗を割り、もうご飯を食べられないことを示したという。

 

最近では少なくなったようだが、人は家で生まれ、死んで外の世界へ戻ってゆく。嬉しいことや悲しいことが、履物を脱いだり履いたりするように家を出入りする。今日まで妙に心地悪さを感じていた冠婚葬祭という言葉をここへきて、一つ一つバラバラにして重さを量れば、思い出と一緒にじんわりと体へ流れ込んで、よくできた言葉だなと一人で納得する。そのような暮らしの中にいた人にとって、内と外の引き際を明確にすることは、自然な事だったのかなと思える。「どの人も大切です」。そんな風に見えてくるのだ。

 

畳には、めでたい時は『祝儀敷き』悲しい時は『不祝儀敷』敷き方を変えて気持ちを表す文化がある。人をまたぐな!と叱られた記憶を再生すると、根底にはそれに似た何かが流れているような気がする。言葉を使わないコミュニケーション。求められているのとは違うような、自然発生のような。

 

仕事と食事以外、ほぼすべての時間を自室の畳の上と縁側で過ごす父親は言う。

 

「もし、わしの部屋をスリッパを履いたまま上がって、わしの布団の上を通ったとする。それは、絶対にあかん事やと思う。それは、わしと相手の信頼関係が壊れる。そういうことやと思う」。

 

そんな事する奴おるか?と思ったけど、あくまでも個人の感想で、『人をまたぐ』ということは大袈裟に言うと、父にとってはそういうことなのかもしれない。人によって許せない理由はそれぞれだろうし、平気な人だっているだろうから。

 

小さな頃、それでも、またぐ振りをして父に抱きつく私は、確認していたのかもしれない。「あなたにとって、私はそれ以上の存在ですよね?」って。ワンマンだと悪評高い我が家の父に向かって、私はいつも思うのだ。さぁ、今日は何で笑かしたろかって。縁側に二人並んでタバコを吸う。褒められたもんじゃないけれど、それきっかけで笑ってんなら。それはもう、親子の言葉を使わないコミュニケーションの一つじゃん。