畳よろずレビューvol.02

【映画「スター・ウォーズ」】何度でも畳めるタフさ。

文:大森ちはる

「始める・拡げる・畳む」のワルツ。

2020年の正月休み、我が家にスター・ウォーズがやって来た。年末にテレビでエピソードⅦ・Ⅷが放送されたのをきっかけに、Amazonプライムビデオで、ダース・ベイダー全盛期~死のいわゆる旧三部作(Ⅳ・Ⅴ・Ⅵ)、時空を遡ってダース・ベイダー誕生に至る新三部作(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)、ほかスピンオフ2編を立て続けに観たのだ。〆に、ダース・ベイダーの孫世代が繰り広げる続三部作の後編 Ⅸを映画館で鑑賞。

1977年から続く人気シリーズでありながら、ほぼほぼ人生でハジメマシテのスター・ウォーズ。9作品+αに一挙に触れて、3つの三部作とも一定のリズムで物語が編まれていることを知った。

主人公(ルーク:旧三部作、アナキン:新三部作、レイ:続三部作)が、己の秘めた力を見出され、自覚し始める前編。現実のわりきれなさや生い立ちに葛藤しながら、物語を前に横に拡げる中編。現実と自らが抱える「本当」に落とし前をつけ、物語をたたむ後編。いずれの三部作も「始める・拡げる・たたむ」の三拍子で構成されている。

たたむ、といえば。畳む。畳。たたみ。

畳は、一般的な和室を思い浮かべると部屋の枠にカチッと収められた据え置きの印象が強いけれど、もとはポータブルなものだったという。ゴザやコモなど薄い敷物の総称で、必要なときにだけ敷く。使用しないときは、折り重ねたり、積み重ねて仕舞う。先にその一連の仕舞う動作が「畳む」と呼ばれ、名詞化して「畳」と相成った。「畳む」「仕舞う」という言葉は、同じく整頓の意をもつ「片づける」と比べて、どこかゆかしく静寂な情景が似合う気がする。あるべきところを見定めて収める感じ。短絡的に「とりあえず」「やっつける」のではなく。てんやわんやの中で猪突猛進するのでもなく。

何度でも畳めるタフさ、神話にあり。

「『本当』とは『私の経験に基づく、私の定めた、異論を一切認めないことがら』」とは、峰なゆかの4コマ漫画「アラサーちゃん」に出てきた台詞だ。また、かの宮本武蔵は「居着くは、死ぬる手なり」と言った。

ルークもアナキンもレイも、序盤から中盤にかけては自らの「本当」に居着き、現実との狭間で葛藤を繰り返す。終盤、ルークとレイには、師の声に後押しされて「本当」をたたむ瞬間が訪れる。「いや、待てよ」と居着きを脱したとき、物語は光が射すほうへ一転攻勢する。アナキンは逆に、居着いたまま目の前の現実をたたむ方を選び、アンチヒーローたるダース・ベイダーに生まれ変わる……のだが、そこに至る気持ちのゆらぎが煩悩まみれでべらぼうにエモい。

「始める・拡げる・たたむ」――これをもっと丁寧に8ステップに解きほぐした話型を「英雄の旅」というらしい。神話学者ジョゼフ・キャンベルが見出した、古今東西の神話に共通するヒーロー物語の構造Wikipedia)。監督ジョージ・ルーカスは、この王道の話型を下敷きにスター・ウォーズを制作したのだそうな。それこそが、シリーズ1作目から40年以上の時を経ても、各部作で状況設定が変化しても、多くのひとがワーッと盛り上がり、あーだこーだ述べたくなる共通言語として機能する1つの所以だろう。

主人公それぞれが手にした(自分なりの)勝利は、眼前の目標を達成しただけで、銀河の秩序という目的を「めでたしめでたし」と言祝ぐには程遠い。それでも、劇中の世界にまだまだ問題は山積しているだろうけれども、私たち観客が大手を振って「けれども」のあとに残る余韻に浸れるのは、主人公をはじめ登場人物たちが、自分の境遇に落とし前をつけ、心境をたたんでいるからだ。きっと。

ひるがえって、今、ここの自分。たたんでいるだろうか。それとも、居着いてる? 「本当」に。

「スター・ウォーズ」
「遠い昔、遥か彼方の銀河系」を舞台に、世界で最も興行的成功を収めた映画シリーズ。実写映画本編は、エピソード4・5・6→1・2・3→7・8・9と変則的な時系列順で公開されていることが大きな特徴である。その他、外伝的なスピンオフ作品が多数発表されている。(Wikipediaより抜粋)

【編集後記】
トップ画像は、自宅の前の公園に、古ゴザ(畳店さんで譲ってもらった使い古しの畳表)とダース・ベイダーを持ち出して撮りました。下の写真は、レゴのスケボーに乗るダース・ベイダーをパラパラ漫画風にコマ撮りする娘。古ゴザは重みがあるので、春の風に吹かれてもヒラヒラならず、外気を浴びに出るときの敷物にオススメです。たたみ1畳のタテは、だいたい1.8m。2m以上といわれるソーシャルディスタンスの目安としても使い出がある……かも。


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