イベントレビュー

「100年後に残したい畳」って、一体どんな畳でしょうか。〜第2回 九州畳サミット〜

文:やすかわのりこ

いまこそ畳み掛けるとき、と200名が集結。

 1・2)日本一のい草の産地・熊本県八代市。新幹線で到着した新八代駅の待合室の椅子は清潔感があふれています。 3)DEMOくらし編集部、念願かなって畳サミットに参上! 4)DEMOくらしのチラシを手にする参加者さん。これがやらせに見えますか? はい、その通りです。 5)徐々に人が集まる会場。いよいよスタートって感じです。 6)これだけたくさんの聴衆がいるにも関わらず講演中の会場はとても静かで、集中していることがうかがえます。 7)喫煙所にてゲリラゴザを敢行。みんなして逃げていくっていう寂しさ。 8)子ども用お昼寝畳布団の肌触りの良さにジェラシーを感じました。 9)畳の関連アイテムとして展示されていた掃き心地の良い吾妻箒。DEMOくらし編集部の畳も、この箒を使ってお掃除しています。 10)サミット終了後の交流会で同じテーブルにつかせていただいた皆様。左から2人目の方は開催式で共催者代表で挨拶をされた田島さんです。 11)「これは熊本産じゃないな」。日本一のい草の産地で、私たちが持参したゴザに厳しいメスが入りました(笑)。 12)い草農家の村上さんご夫婦。奥様のこの可愛さ! 編集部・野崎も「嫁に来んか?」と誘われておりました(既婚なのが悔やまれる)。 13)HipでPopな畳屋さんの突然の登場に会場はヒートアップ。
左:花岡さん(中川畳店/福岡県)、右:坂本さん(竹下畳店/福岡県)。職業訓練校の畳科で共に学んだ2人は、ともに家業の畳店の二代目を引き継いだばかり。ヤングパワー育っています。
村上さん(い草農家/熊本県八代市)。畳の良さと、その暮らし方を伝える畳アンバサダーのひとり。4人の子どもを持つ父でもあるのだ。
山口さん(みずほ銀行久留米支店)。「スピード感をもってそれぞれが動いて行かないと」。熊本出身という理由だけじゃない熱意を感じました。
左:鬼塚さん(佐賀銀行)、右:前田さん(佐賀銀行)。「地域の産業を維持することも自分たちの役目」。自分たちのネットワークの中で、畳を紹介することもあるそう。
左:中井さん(畳の大阪屋中井工業/香川県)右:大井さん(合同会社TENZYU/神奈川県)。畳用のワックスを扱う中井さんと、防カビ材を扱う大井さん。おふたりの化学反応がとても楽しみ。
山本さん(BOOOK/北海道)。畳を作り始めたきっかけは「パティシエのお父様の口車に乗せられて」。とてもユニーク。
生田さん(JAやつしろ 信用専門委員長理事)。畳サミットでこんな素敵な笑顔と出会えて嬉しかったです。熊本まで行ってよかった。
徳田さん(徳田畳襖店/福岡県)。畳CAPが良くお似合いの「平日は畳屋!週末はラッパー!畳くん」。この日はどっちで登場したのか⁈

「100年後に残したい畳」って、一体どんな畳でしょうか。

九州畳サミット「タタミカケル」でお悩み解決……⁈

6月1日(い草の日)に畳表の材料である・い草の一大生産地の熊本県八代市で「第2回九州畳サミット」が開催された。2018年より「畳・い草業界に関わる人々が畳・い草の良さを全国へ発信し、未来に残したい」という想いが込められている。今回のテーマは「タタミカケル!」。何かしたい思いはあるが、アクションに繋がらないという問題をゲストスピーカーの成功例をもとに話し合い、解決の糸口を見つけだそうというもの。

ゲストスピーカーは、理学療法士であり自身の子育てと活動で得た学びと母親達の畳に対するニーズを紹介(株式会社ままこや 代表 山野井恵摩)。消費者の潜在的なニーズに合わせたモノづくりと、熊本地震直後の顧客との実際のやり取りの様子(株式会社たたみ工房福島CEO福島純一郎)。雑貨販売、ワークショップをきっかけに地域へ間口を開いて辿り着いた現在(松葉畳店 伊藤謙・伊藤知美)。年間200軒の家造りで顧客に一番近い場所から贈る家造り最前線(FANFARE Co.,Ltd CEO梶原清悟)。この4方向からタタミカケルというわけだ。登壇者の話の中で問題点として挙げられたのは、「価格」「見た目」「手間」。畳屋の古いイメージを塗り替える為に、自分たちの手で店舗をおしゃれにリノベーションしロゴなどを一新した事例や、カラー畳を空間づくりの素材として使うなど、見た目に関してのアドバイスが多かった。そういったニーズに応えるために、消費者に提案や説明といった昨年のテーマでもあった「伝える」ことが、やはり大切であるという話に至った。

ナイスガッツだ、心もイケメン!

サミット参加者は、約200名で全体の約4割が畳店。それ以外では、い草農家、問屋、メーカー、広告関係、工務店などの方々。私たちは、人の流れに逆らうようにDEMOくらしのQRコードが入ったチラシを手配りし、お話しできそうな方に私たちがナニモンであるかを簡単に説明していた。その中に「チラシはいいよ」と差し出したチラシのQRコードを自分の携帯電話で読み取り、「読まなきゃ意味ないから」とその場でページを開いてくれた方とお話をした。名札には銀行名がある。畳サミットに銀行員? しかも昨年も参加したと聞き、私たちは驚いた。「もともと熊本出身だし、知れば知るほどショックだった。(い草農家さんが無くなるまで)あと10年もないので、相当みんなでいろんな動きをしないと間に合わない。役割が違うからこそ自分たちができることでバックアップしたい。このように集まるのはいい事だけど、世の中に発信していくにはまだまだ小さい。僕の支店が久留米だから酒屋さんともお付き合いはあるが、畳の方が危機感は圧倒的に高い。今までは、それを感じても話し合う場がなかったから、そういう意味では、この場ができた事は良かったのかもしれないけど、もっと行動する人が出てこないとね。少しずつ盛り上げていかないとね」。標準語で始まった口調は、話が進むにつれ訛りがにじむように現れた。ひと通り話し終えて落ち着いた頃、その訛りは消えていた。 

サミット終了後の交流会で、私たちは初めてい草農家さんとお会いし、お話しすることができた。そこでようやく、畳を扱うメディアの中で、自分が畳で止まっていることに気づかせていただいた。とてもラッキーな事だったと今でも思う。しかし、人間は忘れる動物なので、日頃の心掛けが大切だ。い草農家の生田さんの話では、現在、畳は1000万畳の需要があり、そのうちの200万畳が国産の天然い草の畳で、400万畳が「化学表」(いわゆるカラーバリエーション豊富な、おしゃれ畳)、残りが中国産だという。あれっ?「100年後に残したい畳」って一体どんな畳だろう。サミットのロゴには「100年後の畳とい草のために」とあるのに、なんだかちぐはぐに感じる。この業界の中で自分はどうありたいのか。畳のどういうところが好きで、何を伝えたいのか。まず一番は、自分を整えることが大切に思える。そうして思いを共有できた時、人はとんでもなく幸せな気持ちになれる気がする。続けて生田さんは、い草農家が減少に向かう状況の中で、こう続ける「い草農家の平均年齢70代が、い農家をやめていく。でも、若い子も残っとる。まだまだ捨てたもんじゃないよ。これは親の責任、地域の責任。だから、そこは大丈夫」。そういって笑う生田さんをメチャメチャカッコいいと思った。すぐに変わることはない現状にあっても悲観だけで締め括らない、それが彼の在り方だと感じる。それなら私も真似をして、さっそく気分の上がる話をしよう。

熊本まで行かせてくれてありがとう。

福岡から参加した実家の畳屋を継いだばかりの若い二人組に声を掛けた。「人数が予想以上に多い。県外からの参加も多かったので驚きました」。仲間が多いと心強い。帰ったらまず実践したいのは『顧客のフォロー』。どこへ行ってもよく聞く話だけに、改めて大事と感じたそう。畳が子どもの発育に与える影響に関しては「子育ての経験がない僕達には、聞く機会が少ない内容なので新鮮でした。自分たちは、畳屋として始まったばかりなので、いろいろ知りたいから来年も参加したい」。異業種との関わりなどは、今はまだイメージできない部分も含め、彼らはこれからの成長株だ。他にも、すでに自分たちでグループを作り、この業界でどんな立ち位置でなりわって行くのか、異なる職種と手を組み新たな挑戦を始めている人。そして、い草農家の新たな在り方を模索している若夫婦がいる。今回の開会式で「TTP・徹底的にパクる」という言葉が使われた。成功するには、成功した人の成功例を徹底的に真似よ。これもよく聞く話だが、同じパクるにしても、行動から湧き出る自分の思いをアップロードし続けなければ、せっかく取ったメモは「絵にかいた餅」になってしまいそう。時代の流れにあらがう足場を作るのか、その流れを乗りこなすのか、選択肢も選択権も自分次第だ。集まることが目的の報告会ではなく、「人を本気にさせるほどの熱い場になればいいな」なんて、ナマモノである私の心がつぶやいている。単純に100年後まで残したいなら「畳・い草歴史博物館」を造ればいい。でも、そういう意味じゃないからね。だから私は、畳を扱うメディアという枠に限られず、生きることのように自分に問い続けようと思うのだ。

(↓画像クリックで、畳サミットの公式HPにリンクします)

執筆者プロフィール

やすかわのりこ(三木市在住・1973年生まれ)
やすかわのりこ(三木市在住・1973年生まれ)
趣味も特技も特になし。そんな私も20代は「歌で飯食う!」って決めてました。ライブ明けの帰り道、都会のネオンを見送りながら、「脱・田舎!」と心に誓い、ソフトな家出から大阪に流れ着きました。音信不通だったためフラリと実家に立ち寄ると、あるはずの自宅はなく、足元に広がった更地に言葉もなく立ち尽くす。なんてこともありました。笑