文:小倉なおこ
うちの実家は古い。昭和初期に建てられたという実家は、古民家をリノベして〜みたいなシャレたもんではなく、床板は拭いても拭いても雑巾は真っ黒になるし、歩けばうぐいす張りですか?という程にギシギシときしむ。冬の廊下を歩けば隙間風が凍えるほど寒いし、大雨が降れば雨漏りする。軽めの台風でも瓦が飛んでいってしまう。とにかく手がかかるのだ。そして建物が古いだけでなく、亡き祖母も、母も、昔からの日本の風習みたいなものを大事にしている人だった。
『めんどくさい家。』というのが、私の実家に対する印象。もちろん家族のことは大好きだし、家も私にとってはとても居心地が良い。しかしなんだかんだと手間がかかるから、自分ならこの家には嫁ぎたくないなぁと思っていた。
そんな、めんどくさい我が家の風習の一つが、和室の建具替えだ。建具替えというのは、和室の間仕切りを夏のしつらえにする、いわば住まいの衣替え。洋服の衣替えと同じ、6月1日前後に行われている。むしむしとした夏の暑さを少しでも和らげるためにふすまやガラス戸を外して、竹でできたよしず戸を入れたり、御簾(みす)をかけたりして涼をとるのだ。
冬建具のふすまやガラス戸から
夏建具のよしず戸へ
しかし、和室には文明の力であるエアコンもしっかり完備されている。せっかくのエアコンも、すかすかの扉では効き目がイマイチだ。「エアコンがあるなら、ふすまの方が良いんじゃない?」そう聞いた私に、母はこう言っていた。
「そうだね。でもやっぱり、なんだか気持ちが良いから。」
え〜、どうして?そう聞いても、子どもの私には、なぜわざわざ建具替えをするのか理解できなかった。エアコンをしっかり効かせた方が涼しいのに、と思っていた。いや、子どもの頃どころか最近になるまで、そう思っていた。
先日、私はこの建具替えの時期に、たまたま帰省していた。大学に進学するまでずっと実家に住んでいたはずなのに、建具替えの様子を見るのは、これが初めてのことだった。というのも、建具替えは思いの外に重労働。特に一番重いガラス戸は、男手でないととても運べない。普段から大した手伝いもしない私は、はなから労力として期待されていなかったのだろう。
その日は父と母、そして近所の方に手伝ってもらいながら、建具替えをしていた。父も母も近所のおじさんおばさんも、慣れた手つきで次々とふすまを外していく。いやしかし、大変だ。みんな汗だくになっている。私もなんとなく手伝おうかとその場にいたが、結局、チョロチョロと動き回る子ども達を追いかけ回していた。
作業も終わりに差し掛かった頃だろうか。ふと顔をあげると、サーッと風が吹き抜けていくのを感じた。
「あれっ?なんか急に涼しくなってない?」
それまでふすまで閉じられていた空間が、御簾やよしず戸に変わり、風が急に動き出したようだった。
「えっ、これってすごくない?」
風も温度も、そしてその様相も。あたりが一変していた。
ーーー
そもそもこの和室、お客さんが来た時に使う程度で、普段の生活ではあまり使わない。私の和室の思い出といえば夏休みの昼寝くらいだろうか。でも昼寝の場所としては、とっておきの場所だった。
夏休み、お昼ごはんの後はだいたい小学校のプールへ通っていた。そしてプールから帰ると、和室へと転がり込むのだ。この時期、私は畳の上にマイ枕を常備していた。
ひんやりした畳の上に寝転がる。「ミーンミーン」と一斉に鳴くセミの声を聴きながら、しばし目を閉じる。ふわーっと風が頬をなでるように通りすぎていく。エアコンのような冷たい風ではないから、うっすらと汗が出てくることもある。しかしそれもまた、風が冷やしていってくれる。
お盆を過ぎた頃からは「ミーンミーン」が「ツクツクボーシ ツクツクボーシ」へと変わっていく。まるで夏休みの終わりをお知らせされているようで、少し寂しくなるのだった。
あぁ、あの吹き抜けていく風。聞こえてくる音。ひんやりとしたあの肌触り。そして漂ってくる香り。
あれ?私は小さい頃から、とっくに建具替えの良さを享受していたじゃないか。
ーーー
なぜエアコンがある今でも、大変な建具替えの作業を続けているのか?それに対して母が言っていた「やっぱり、なんだか気持ちが良いから。」という言葉。
そういえば。
母は、あの時も同じような事を言っていたのを思い出した。母はお客さんが来る日は、必ず玄関に水を撒いている。「打ち水」と呼ばれるこの風習も、日本古来からつづくと言われている。
ある時「お客さんが来るから、ちょっと玄関に水撒いてきて。」と言われた事があった。言われるがままにホースで水を撒いたものの、玄関は特に汚れてはいなかった。
「玄関、別に汚れてなかったよ。なのに、どうして水を撒くの??」
「どうしてだろうね。でも来たときに水が撒いてあったら、なんだか気持ちが良いじゃない?」