ゴザと柄杓がつなぐ縁 〜誘われて、お伊勢参り

宮大工・川村さん見参!

大鳥居をくぐり、五十鈴川にかかる宇治橋を渡ると、一気に場の空気が神聖なものへと変わる。ゴザも柄杓もどことなく緊張しているようだ。

白い砂利道の参道を進んでいくと、手水舎の少し手前で声をかけられる。

「そのゴザと柄杓、どうしたんだい?」

これは江戸時代の……という説明を繰り返す。話しかけてくれた人の名前は川村さん。

「実はオレは伊勢神宮の宮大工をしていたんだよ」

そういって、宮大工であったことを証明するメダルのようなものを見せてくれた。話を伺うと、前回と前々回の遷宮の際も本殿の建築に携わっていたとのこと。

なんか、もしかしてすごい人?!

「今はもう引退したけれど、こうやって毎日参宮して参拝者の人たちを案内しているんだよ」

どうやら私たちを案内してくれるみたい。突然現れた神様の使いのようだ。

手水舎に付き、MY柄杓で手を洗い、口をすすぐ。その後右手にある五十鈴川へと続く階段をくだり、川を覗き込んでみた。澄んでいて、小さい魚の群れが泳いでいる。

タクシーの運転手さんが言っていた通り、五十鈴川の水を飲んでみよう!
柄杓を使って飲んでみる。うん。美味しい!! お代わりもう一杯。

「おかげ参りの人たちも、こうやって五十鈴川の水を飲んでいたんだよ」

と柄杓が小さい声で呟いた。

五十鈴川の水を堪能したあと、大きな参道に戻ろうとする私たちを川村さんが止める。五十鈴川から右に行く小さい森の中の小径へと促される。
小さなお宮があった。こちらが正式な参拝順序なのだろう。川村さんに導かれて行く。

自分だけで来ていた時は、いつも大きな参道を通り、本殿だけを詣でて帰っていた。
人の少ない、静かな森の小径を行くと、自分の砂利を踏む足音がよく聴こえる。

宮大工の川村さん。流石のベストフォトスポットをよく知っていった。
その場に来るたびに、私たちを止め、的確な指示を出し、写真をとる。

「ここからだと、本殿の屋根がよく見えるんだ。あの屋根の上の太い木は鰹木と呼ぶんだよ」

と川村さん。神さまに仕える仕事をするのは、どんな気持ちなんだろう?

内宮の参拝を終え、川村さんとの別れの時。

「どこに行くんだい?」

おかげ横丁の団五郎茶屋に行きます。取材の予定を入れているんですよ。

「そうか」

そう言うと、大鳥居の近くの駐輪スペースにとめてあった原チャリに乗り、颯爽と行ってしまう川村さん。

「ステキな人だったねぇ」

おかげ横丁内の団五郎茶屋につき、だんごや善哉を食べながら、一息ついていた。
おいしい。モグモグモグ。
歩き疲れた身体に甘みがしみこんでいく。

昔ながらの建物が残る伊勢の参道。

おかげ参りをしていた昔の人も、そしてもしかしたらおかげ参りについて来た犬たちも、間違いなくこの場所にあった茶屋で、ほっと一息ついていたに違いない。

そんな想いでぼーっと縁側から空を見上げていると……

あれ? 川村さん??

さっき別れたはずの川村さんが、再び颯爽と登場。

手には宮大工をしていた時の写真のアルバムを持っていた。わざわざ観せに帰って来てくれたのだ。
神聖な儀式に参列するときの衣装を来た川村さんの写真。
鰹木と映る川村さん。

決して私たちは入れない内宮内部を写した写真(もちろん建設時に撮ったもの)。
内宮内部の階段に飾られている美しい玉。

たぶん一生かけても私たちが見ることのできない場所が、写真を通して語りかけてくる。

「だから言ったでしょう? 『一生に一度は伊勢参り』だって」

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伊勢神宮巡り逆回転。「みんな結構忘れちゃってるのね、私たちのこと」