ショートコラム

いのちの巡る場所。

文:山本しのぶ

2020年5月、息子10か月、祖母が亡くなって8か月。

たっ、たっ、たっ。
実家の真新しい畳の上を、歩き始めたばかりのわたしの息子が小さな足音を響かせる。おぼつかない足取りながら、一部屋を横切るくらい歩けるようになってきた。
後ろにある仏壇には夏に初盆を迎える祖母の遺影。出会うことのできなかった2人の存在が同じ空間に満ちている。

息子が生まれてちょうど2か月後に祖母は亡くなった。93歳だった。3か月ほど入院していたが、最期の1週間ほどは肺炎により意識があるかないかの状態を経て亡くなったという。
祖母を息子に会わせたいという願いは、かなえることができなかった。認知症をわずらい、ひ孫が生まれてきたこともどこまで分かってくれていたのか、はっきりとはしない。
ただ、祖母はわたしの母のスマホに写るひ孫の写真を見て、
「坊か?」
と聞き、嬉しそうにしていたという。

この春、しばらく実家に息子と滞在した。祖母がいないことに対して、もっと寂しい気持ちになると思っていた。でも、意外と祖母の不在を感じることはなかった。むしろそこここに祖母がいる。
「おばあさんはよくこう言ってたよね」
「おばあさんは上手にトマトをつくっていりゃあした。作り方ちゃんと教わっておけばよかったね」
母が話し、そうだよねとうなずく。そんな毎日。

そして、赤ちゃんとの生活は、感傷にひたる暇を与えてはくれない。座った、はいはいした、立った、歩いた……、めまぐるしい成長と、寝ない、泣く、食べない、転ぶ……、つきない心配。小さなからだでめいっぱい生きている息子に向き合う日々が続く。

真新しい畳の下にあるもの。

実家では祖母の初盆を迎える前に畳を新しくすることになった。もともと入っていた畳は数十年使った年季もの。すっかり日に焼けて、場所によっては畳の目がぐにゃりと歪んでいた。

実家は玄関を入ってすぐ左に田の字型に畳の間が広がる。畳を新しくしたのは応接間とその先に続く仏間。仏間では朝な夕なにわたしの両親が神棚と仏壇にお供えをし、心経をあげる。応接間から右に向かうと祖母が最後に寝室として使っていた部屋。畳に置かれた電動ベッドがまだ残っている。一番奥には床の間のある部屋がある。ここは普段はほとんど使うことがない。

実家は祖母が生まれる前に建ったと聞くので、おそらく築100年を超えている。といっても、いわゆる「古民家」という風情はあまりない。玄関はアルミサッシだし、もともと土間だった台所もすっかり現代風になっている。父が自前でリフォームした廊下もある。かといって快適というわけでもない。冬は底冷えがひどく、実家を出るまでわたしは毎年足の指にしもやけを作っていた。なんだか中途半端だなと生意気にも思っていた。

畳屋さんが新しい畳を持ってきてくれる日、畳屋さんの到着前に父が古い畳を上げ、掃除をした。畳を上げてみると、比較的新しい板が広がるなか、一部だけ古く黒光りする古い板が残っていた。畳の下に隠れていた古い板と新しい板。つぎはぎのようになっている床板を見て、ふとこの家を愛しく感じた。
「あぁ、続いているんだな」
と。

壊れそうになったら手を入れることを繰り返して、この家はずっとここにある。
「よく手を入れていらっしゃいますね」
家の様子を見て、畳屋さんがおっしゃった。昔のままの部分と変わっていく部分。この家はそうやって続いてきた。手を入れてきたのは、わたしの両親、祖父母、その先の先祖たち。そのいのちの巡りが息子に受け継がれて、いま彼は真新しい畳の上を歩いている。

新しい畳にごろんと寝転がる。掃き出し窓からは初夏の気持ちいい風が入り、部屋いっぱいに畳の香りが広がる。息子の足音を聞きながら、祖母の横で眠りについた小さな頃のことを思った。

畳をめぐって、実家と祖母の記憶を描いたコラム第一弾はこちら。>>>私が眠る場所。