文:野崎安澄 写真:大森ちはる
2ページ目:「実はオレは伊勢神宮の宮大工をしていたんだよ」宮大工・川村さん見参!
3ページ目:伊勢神宮巡り逆回転。「みんな結構忘れちゃってるのね、私たちのこと」
4ページ目:結構いいところまで来たんじゃない? やっと出発点にたどり着いた私たち。
カワイイゴザ(と柄杓)には旅をさせよ。
いつもと変わらない水曜日の午前中。DEMOくらし会議がコミューン99にて行われていた。
畳の上に集う私たちの耳に、どこからか奇妙な声が聞こえてきた。
「あー、たまにはどっか遠くでゲリラゴザして欲しい。近くばっかりで飽きたわーー」
「え??」
編集長…ではない。結構野太い女性の声だ。ガサゴソ……と戸棚の中で何かが動く音もする。
ゴ、ゴザ?
「そうだよ。私だよ。ゴザですよ。昔はよく旅の人に連れられて、遠くまで旅をしたもんだけど、最近は戸棚にしまわれて、敷かれるときは花見の時くらい。なんだかねー」
それは申し訳ないことをしたね。そんな願いがゴザにあるとは知らなかった。
旅の人に連れられて? それっていつの話?
「いつって、江戸時代とか。よく旅人の背に背負われて『一生に一度は伊勢参り』とか、おかげ参りって言ったかな。柄杓もさされてね、一緒に連れて行ってもらったもんだよ」
そうなの? お伊勢参り? 柄杓も?
「そうだよっ! 知らんのかい。最近の若いもんは、私たちのことをただの敷物だと思ってるね……」
そんなゴザの嘆きの声から始まった伊勢を巡る旅。
今とは違って、江戸時代の人たちにとっては「一生に一度はお伊勢さん」と言われたくらいの一大イベント。
「知らんのかい!」とゴザに怒られたので、慌てて当時のお伊勢参りについて研究をされている元奈良大学教授鎌田道隆先生に電話をかけて尋ねてみた。
ござを持っているのは、たくさんの人たちがお参りする“おかげまいり”の時のかっこうでしょう。とにかくたくさんの人たちが一度に参っていたので、宿屋に入れない時、野宿をするために、あるいは道で休憩をするために持って歩いていたんですよ。
ー 柄杓も持ち歩いていたと聞いたのですが、何のためだったのでしょう?
ひしゃくは文政のおかげ参りの時から皆が持ち出して、おかげ参りの象徴的な役割を果たしていたんです。
元々は歴史的に神様から何かをいただくとき、あるいは差し上げるときにひのきの曲げ物に入れていたことから来ています。当時のひしゃくは棒の先にひのきの椀・入れ物をつけていたので、その流れで持ち始めたのでしょう。
神様からの頂き物だけではなく、参道の人たちからお布施をいただくときに柄杓にいれてもらっていたようです。もちろんそれだけではなく、水を飲むときなどにも使用していたようです。
柄杓を持っていたら「(おかげ参りの人だから)何かあげないと」と当時の人たちは思っていたのです。
ー 現在の伊勢周辺でもみなさん柄杓を持っていたら……という風に思っていますかね?
はい。現在でも、沿道の方々は柄杓=おかげ参りという認識をもっていらっしゃいますよ。
じゃあ、やっぱりゴザの願い通り、柄杓と一緒にお伊勢参りに行ってみないことには、始まらない。
何が起こるかはわからない。「一生に一度」の体験をしに、お伊勢参りにDEMOくらし編集部行ってみよう!
「五十鈴川の水を飲むといい」
ゴザと柄杓を背負い、鶴橋駅から近鉄特急に乗りお伊勢さんへと向かう。
五十鈴川駅に到着し、タクシーで内宮へ行こうとすると、早速
「なんで柄杓を持ってるの?」
とタクシーの運転手さんに聞かれた。
昔の人はこうやって、ゴザと柄杓を背負ってお伊勢参りをしたそうなんですよ。道中、ゴザを敷いて休み、食べ物などはこの柄杓を差し出して、沿道の人たちからもらっていたそうです。どうやらタクシーの運転手さんは初耳だったようだ。ちょっと考えて
「あー、伊勢乞食か」
伊勢乞食?! 初耳です(笑)
「昔は伊勢乞食というのが川にいて、上流から流れてくる野菜とか食べ物を拾ったりして生きていたらしい」
うーむ。どうやら私たちの目指しているゴザ&柄杓スタイルとは違うようだけども。
「あんたたち、せっかく柄杓を持っているなら、五十鈴川の水を飲むといいよ」
五十鈴川の水? 飲めるんですか? 何度も来ているけど、飲んだことはありません。
「飲める、飲める。山から出て来たキレイな水だから、オレたち地元の人間はよく飲んでるよ」
そんな話をしているうちに内宮に到着。
タクシー運転手さんに別れを告げ、歩き出そうとすると、ゴザを縛る紐が緩み始めていた。
ギューギューギュー。縛りなおす。
「いててて、きつく締めないでくれよ〜」
情けない声で、ゴザは言った。
さぁ、まずはお詣りだ。