城下町と汗っかき広報部

「城下町」と言っていいのは、「トヨタ」と「小柳ルミ子」だけ。そう思っていたのだけど、神戸市の東灘区というところを歩いていると、「ここはもともと、白鶴さんの城下町みたいなところだから」と、何度か耳にするのでした。いや、城下町って、んな大げさな!

でも、東灘区を六甲山から海まで貫く住吉川の上流に、年に2回しかオープンしないという噂の豪壮優美な白鶴美術館が、瀟洒な御影山手の木陰にうっとりチラ見えするのです。ぶらぶら川沿いを下りた中流には、かつて酒蔵の子弟教育のために設立したという「灘中学校 灘高等学校」の門が現れて、わ、あの日本でいちばん賢い学校や、とドキドキするのです。そうして下流近く、満を持して、大正時代の威厳ある蔵が、でーん! 白鶴酒造資料館~。門前の芝生の上では、毎朝、専用の白い靴に履き替えた何名ものスタッフさんが、這うようにして丁寧に手入れされています。うーむ、城下町は一日にして成らず、か。暴れん坊将軍八代吉宗の時代に創業、いまや日本酒の十分の一を生産するトップメーカー。しかし地域貢献も忘れないあたりが、地元のひとをして「城下町」と言わしめるのでしょうか。えーい仕方ない、ゆるす!

そんなお大名な白鶴酒造さんの社員さんは、さぞかし木で鼻をくくったような人たちなんでしょうね。と思っていたのですが、とある秋の夕暮れ、シュッとした男前・広報室大岡さんは、例の芝生前にかがみこんで、スズメ除けネットを、プランターの稲の支柱に懸命にくくっていたのでした。薄闇のなか苦戦する大岡さんを助けようと、利き酒鑑定士でもあるお肌つやつや美女・広報室植田さんも駆けつけ、ヒールをネットにとられて転びそうになりながらも、並んでテキパキ作業を進めるのです。

あれ? 広報って、そんな仕事だったっけ? 白鶴酒造広報室オールスターズ(3名)は、見るたびいつも、畳を敷いたり、巨大な桶を運んだり、冷たい雨のなか50キロのもち米を洗ったり、故障したPepperくんを動かしたり、急に立ち上がった子供に蹴られてこぼれた甘酒を拭いたり、英語の話せないインバウンドのツーリストに身振り手振りで「これは白鶴錦という自社開発の酒米を丁寧に仕込んだ大吟醸を、圧搾せずに袋吊りで滴ったものを集めた最高級のお酒です」と伝えようとしていたり(難易度高っ!)、なんだかいつも汗だくで、でも笑顔で走り回っているのです。

そして広報室長西田さんは、たぶんわりと偉いひとのはずですが、誰より動き、誰より汗をかき、それなのにいつもなんだかうっすら余裕ありげ。なのでさらにどんどん細かい仕事を頼まれ、どうも断るスイッチついてないのか「いいですよ」と答えてしまって(実は学習不足のPepperくんなのかもしれません)、いつ見てもちょっと困ったような表情を浮かべて、ひょうひょうと走り回っています。実はその風情が、「白鶴御影校」と打とうとして必ず出てくる誤変換「白鶴御影公」にあまりにもぴったりなので、私の頭の中では、西田さん=「白鶴御影公」。すべての仕事が終わった後、どこから持ってきたのか水戸黄門みたいな職業不詳の服を羽織って、つやつやの芝生を前に、「これにて一件落着ですな。ふぉーっふぉっふぉっふぉ」と呵呵大笑する白鶴御影公の幻影が、瞼から消えません。この御影の土地に270年も培われてきた「城下町マジック」のなせるわざ、なのかも。うーむ、おそるべし。

(※しかもこの記事を書いた2017年6月からリアルに酒造資料館館長も兼任とか……。こいつはもう「白鶴御影公を探せ!」だ!)

(文:湯川カナ)

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