若者が日本酒をつくったら

酒造りは、「日本」じゃなくてもできるはず。

文:松本理恵

やりたい仕事や叶えたい目標が見つかったとき、スッと動き出せればよいが、歳を重ねるほどにそうはいかない気がする。例えば環境の変化、新たな人間関係、必要なスキル、ワクワクの裏側には未知への不安がある。わかるのか、できるのか、慣れるのか。その不安との葛藤に打ち勝って、ようやく一歩を踏み出すものだと思っていた。

足立農醸の代表、足立洋二さん。23歳で日本酒を勧める仕事を始めて、わずか8年後にはオリジナルの日本酒を造った。しかも自分が育てたお米で。足立さんが伝統ある日本酒業界で、軽やかに未知へのステップを踏み続けているのはなぜだろう。2023年3月、生まれ育った大阪で新たな挑戦への準備中だという足立さんを訪ね、話を伺った。

大阪府高槻市に引っ越してきたばかりという足立洋二さん

米作りは「ストーリー」のはずだった

2021年に足立農醸として日本酒醸造の世界で独立した足立さん。日本酒醸造に新たに参入するには酒蔵買収などハードルが高い。足立さんは、酒蔵を持たず、他の酒造会社と手を組む「委託醸造」という方法を知り、兵庫県丹波市で自ら作った米を青森県八戸酒造へ持ち込み、オリジナルの日本酒を造った。資金はクラウドファンディングで集め、返礼品は出来上った日本酒。独立直後で、しかも米作りは初めてだという足立さん、そこに不安や躊躇はなかったのだろうか。

「委託醸造するにしても、農家から米を買うのではなく、鹿が荒らした耕作放棄地でゼロから米作りをしたら、ストーリーは抜群やなぁと思って。そんなに大変だと思ってなかった」と笑う。しかし米作りは、体力だけでなく、獣害、台風、稲の病気と心配も尽きない。「後々にちょっと怖くなってきて、実際は精神的にも大変だった」というのもうなずける。

それでも「比較的楽しんでやれていた」という理由は何なのか。海外での清酒醸造を目指している足立さんは米作りを「ヨーロッパでも対応できるスキル」のひとつと捉え、「そういう能力を身につけなきゃいけない時期」だと感じていた。若いうちにパソコンのスキルは身につけておかないと、そんなニュアンスにも聞こえたが「米作り」である。「ひとつひとつの作業を妥協せず、資料を読み、農協や農家の方に指導を仰ぐ。基本を守り、しっかりとした管理を心がけた」という。真摯に未知の領域と向き合いながら、スキルを確実に吸収していく、その体感が楽しかったということかもしれない。

初めて収穫した米は、周囲の農家が驚くような出来だったという。

軽やかに、アメリカから神戸、青森県八戸、兵庫県丹波、そして大阪府高槻と

足立さんと日本酒との出会いは、日本ではなくアメリカ。高校卒業後に競泳選手として留学し、23歳の時、家族から送られた山形の純米酒を初めて口にした。「パッとはまって、美味しい、知りたいと、のめり込んだ感じ」だったという。

そこから、レストランやバーで働き、日本酒を勧める立場として「何百種類もの日本酒にふれあう」など猛勉強した。26歳の時、縁あって日本酒醸造の世界へ。八戸酒造、西山酒造で日本酒の造り手として修業を積み重ね、独立したのが31歳。その8年間の軌跡を辿るとアメリカから神戸、青森県八戸、兵庫県丹波、そして大阪府高槻。目指すところへのステップアップの速さともに、フットワークの軽さにも驚く。その土地へパッと行って新しいことをする。その連続を想像するだけで、不安でお腹が痛くなりそうだが、抵抗はないのだろうか。尋ねると「あぁ、全くないですね。気持ちがいっつも先に行ってしまうので」と笑った。そして「やりたい、から始まって、気持ちさえブレなかったら、意外に何とでも回っていく」という。

少し思い出したことがあった。20代の頃、最寄り駅からバスで2時間半とか、新幹線往復自由席で日帰りとか、スケールはかなり小ぶりだが、見たい、知りたいという思い先行で動き回っていたことがあった。気持ちが前へ、ただ楽しいという感覚。足立さんはそこにブレない軸がドーンと居座っているから、しっかりと着実に、でも軽やかにステップアップしているのかもしれない。

米を磨くのは、もったいない

各地を飛び回るようにして、自分のなかで日本酒を深めていった足立さん。それが実際にどんな日本酒造りにつながっていったのだろう。ちょっと普段の日本酒ライフを尋ねてみた。「個人的には燗のお酒も大好き」という足立さんだが、「燗の日本酒は中上級者向けで、あくまでサービスの部分。自分は造り手として、“はじめての日本酒”の部分をやっていきたい」という。

海外向けで、初めての人が美味しいと感じられる日本酒、どうイメージしていったのだろう。足立さんが目指すのは、米の自然な甘みが感じられる「きれいな味わい」だという。1年目から醸造タンクを任せてくれた八戸酒造での経験の中で、海外でも受け入れられる「きれいでフレッシュ、フルーティな味」の酒質をつかんだ。新鮮な状態でその味わいを世界に伝えたい、輸出メインではなくスイスに醸造所をと考えたのもそのためだという。

独立して第一弾の日本酒造りでは、海外での米作りを見据えて酒米ではなく食用のコシヒカリを育て、そこから「きれいな味わい」を目指した。米の味を無駄なく活かすため、あえて米を磨かない80%精米に抑えたという。委託醸造ではあるが、八戸酒造での仕込みは自ら手掛け、醸造中の品質管理や搾りの工程にもこだわった。こうしてできた日本酒『KOYOI ラ・プレミア・アネー』は「ワイングラスで膨らむ優しい米の甘さときれいな味わい」になり、2022年の海外品評会で銅賞を獲得したという。

「ちょっとそれは、想定外」だとしても

足立さんにお会いしたのは、どこか懐かしい雰囲気のある大阪府高槻市の富田団地。集合住宅の1階部分、パン屋やお好み焼き屋が並ぶ商店街の一角で「クラフトサケ」の醸造所を開く予定だという。見せてもらった内装前の醸造所スペースは、コンクリートむき出しでガランとしている。

今回着手する「クラフトサケ」は、日本酒の醸造技術にフルーツなどの副原料を加えた新しいジャンルで、近々福岡県の酒造会社と協力して大阪産キウイを使った醸造酒を仕込む予定だという。話を伺っている途中で、足立さんの携帯電話が鳴った。「税務署から『そこでこれからどうするんですか』と聞かれて。団地の中の醸造所は日本初かも」と笑う足立さん。「これからまだまだ勉強して僕なりの日本酒を造っていけたら」と続けた。

行動しないと始まらない。分かっていても一歩を踏み出せない時、未知への不安を、楽しみやワクワクに変換する術はあるのかもしれない。それは、ポジティブにとか楽観的に考えるとかではなく、もっと自分の気持ちや思いの確認から、そんな気がする。 「スイスでもようやく1軒、米農家が出てきたんです。まだそんなレベルでカルチャーも違うけど、1軒あるってことは、米作りができる土壌があるということ。じゃあ自分にもできるなと。また何の動物に荒らされるかわからないけど、それも楽しいかなって」。そう言って足立さんは笑った。

足立農醸 ―ADACHI NOUJO―
“世界を架ける日本酒を”をモットーに、スイスでのSAKE醸造所を目標に掲げ、2021年1月に始動。兵庫県・丹波市で収穫したコシヒカリで、「ワイングラスに合う日本酒」をコンセプトに復田シリーズ第1弾『KOYOI ラ・プレミア・アネー』を醸造した(既に完売)。
復田シリーズ第2弾の『KOYOI ラ・ドゥジエム』は、2023年4月より販売開始。極力磨かず米の旨味を活かした綺麗な酒質はそのままに、より味わいの繊細さを求めて土からこだわった1本(右写真)。2023年6月より大阪・高槻市で「足立農醸クラフトサケ醸造所」販売所オープン(醸造開始は2023年10月中旬頃~)。
■大阪府高槻市牧田町7番55-109(ウェブサイト)
■KOYOIの取扱店舗はこちら https://adachi-noujo.com/shop/