文:野崎安澄
2018年福島県は、史上初、全国新酒鑑評会6年連続金賞受賞数1位を獲得した。
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/32031c/20180517sake.html
もちろん下戸の私には寝耳に水。馬の耳に念仏。十数年前までは、福島の日本酒は「安かろう、悪かろう」の代表として扱われていたらしい。
それがなぜ6年連続金賞受賞という快挙を成し遂げたのか?
福島県を訪れるチャンスがあり、市内在住日本酒好き友人代表マツコさんのご紹介で、市内にある『橘内酒屋』(http://sakezanmai.net)さんを取材させていただいた。快挙の謎に迫りつつ、震災から復興しつつある福島県の日本酒事情について聞いてみた。
「ちょうどいいがら、自分でやっか」
ー福島県は新酒鑑評会で史上初の6年連続1位受賞という、すごい快挙を達成されているんですね。その秘密をぜひ知りたいと思っています。
橘内(敬称略) ありがとうございます。
ーマツコさんに震災前くらいから、杜氏さんたちの高齢化が進み、蔵元が杜氏を兼ねるという風になってきたと伺いました。そういった影響もあるんですか?
橘内 そうですね。今、蔵元の社長が製造から販売まですべての責任を負う体制になってきています。
昔は社長は”旦那様”と呼ばれていて、地元の名士ですごく偉い人だから自分では酒づくりをやらなかったんです。冬の間地方から農家の人に出稼ぎにきてもらって杜氏をやってもらっていた。
今の日本酒って精度がすごく高くなって来ていて、日本酒造りというのはその精度を上げていく作業になって来ているんです。社長である蔵元が「ここまでやりたい」と伝えて、杜氏さんと意見があっているうちはいいんです。
でも、昔ながらの作り方で来た杜氏は「そんなんできねぇ」となるわけです。
「じゃあ、自分でやっから、来年からはきてもらわなくてもいいよ」と。
「ちょうどいいがら、自分でやっか」となってきている。
今、福島県の蔵元は若いんですよ。30代の子たちが後を継いでるんです。
例えば、親父が「酒作りたぐねぇ。杜氏もいねぇ。お前何とかしろ」っていわれて32歳で継いだ子がいて。金まわりも、人の雇うのも全部自分でやっている。背水の陣ですよ、ホント。
ほとんど酒造りをやらないような状況から、復活させるって意気込みでやってる。そういう想いとか背景を聞くと、応援したくなりますよね。
もちろん味が伴っていないといけない訳ですけど、発展途上の時は、煮ても焼いても飲めないものが出てくる時もある。
でも酒屋はその蔵元と一生付き合っていくって決めてますから。
いい時もある、悪い時もある。それでも売るって。信頼で成り立っている、熱くて深い業態なんですよ。
ー本当に信頼で成り立っているんですね。橘内酒屋さんではそういった特別なお酒を扱っているということなんですね。
橘内 そうです。スーパーや量販店に並ばないお酒を扱っていて、いわゆる日本酒のセレクトショップですね。量販店が蔵元さんに電話しても、門前払いです。
ーえ? そうなんですか?
橘内 酒屋さんと蔵元さんの結婚とまではいかないけど、お互いが理解しあわないと、取引が始まらないんですよ。
逆にびっくりするかもしれないけど書面で契約するという風習がない。対人間の世界というか、取引と言うか、独特な世界なんすよね。
蔵元さんは酒を作るだけ。蔵元に行っても酒を売ってないんですよ。その先は相思相愛の酒屋さんにお任せするよ、と。
蔵元の代弁者で、蔵元の想いを知っているのが特約の酒屋なんですよ。お客さんに聞かれてもなんでも答えられるような準備は、すべて整っているはず。
一つの蔵元さんあたり、全国で十数軒なんてこともありますからね。1店舗あたりの酒屋がどれだけその銘柄を売っているかに、運命がかかっているんですよ。
ーすごい責任重大ですね。
橘内 だからこそ蔵元さんも下手なものを出せない。自分の魂が宿ったお酒をだして酒屋さんに売ってもらう。そういう世界なんですよ、酒屋って。
誰からもそっぽむかれるなら「いいよ、自分たちでやってくべ」
ここで一点疑問が浮かぶ。
そういった若く酒造りについて全く知らない若手蔵元さんたちは、どうやって酒造りについて学んでいくのか?
日本酒通のマツコさんに聞いて見たところ、福島県にはそういった若い杜氏さんたちのために、日本酒の伝統的な技を伝えていく“清酒アカデミー”と言う場があるのだそうだ。
ベテランの杜氏や大学の専門家が講師になり、若手に知識や技術を教えていく。蔵という垣根を超えて先輩・後輩同士がつながり、支え合いながら切磋琢磨しているという。
普通に考えれば、蔵元同士はライバル。でも福島の日本酒を盛り上げようと言う想いで横のつながりができているのだ。
ーやはり清酒アカデミーの取り組みの成果も大きかったんでしょうか?
橘内 確かにそうですね。例えば福島県のハイテクプラザに鈴木賢二先生というすばらしい先生がいらっしゃって、そのおかげでここまで来れたっていうのもあります。
あとは『飛露喜(ひろき)(廣木酒造本店)』と言う日本酒を作った廣木健司さんが、福島県でジャパニーズドリームをつかんだことも大きいと思います。今どこに行っても人気がありすぎて手に入らないお酒。買えないんです。
その廣木さんも、元々は量販店で売っているお酒を作っている蔵元だったんです。お父さんが亡くなられて跡を継がれてから、飛露喜(ひろき)というブランドを始めた。それが全国区の銘柄になったんです。
廣木さんのような成功事例が福島県から出たっていうのが、若手が戻って来る起爆剤になっているんですよね。
そして醸造の世界では廣木さんの後輩で、仲の良い師弟関係のような間柄の、会津若松市の宮泉銘醸、宮森義弘さんが醸す“冩楽”っていう銘柄があるんですが、この冩楽も入手困難な銘柄になっている。
30代前半の若い子たちはこの“冩楽”の成功を起ち上げの時から観てるから、どんどん福島に戻って来るきっかけとなっていますね。
だんだん若い子たちが戻って来て、20代30代が造ると若い子たちが飲むんですよ。彼らが作るお酒がピタッと同世代にはまる。
女性が飲み始めたり、20代男性が飲み始めたり。昔とは状況が違ってきていますね。
ー震災もきっかけになっていますか?
橘内 震災で福島県が一つになったってのもありますね。本当に嫌われ県でしたから。
福島県のナンバーみたら石投げられたとか、放射能のうんぬんもあったし。
まだまだ余波はあるんですけど、それが逆に福島県をひとつにした。
誰からもそっぽむかれるなら「いいよ、自分たちでやってくべ」っていう話ですよね。
自分たちのところで作ったお米や食べ物を、自分たちで買っていくって自家消費率が高まって行きましたからね。
ー橘内さんは福島で“地酒の陣”などの日本酒のイベントをされますよね
橘内 今でこそ福島の日本酒を全国のみなさんに飲んでもらえるようになったんですけど、たった15年前は日本酒の“に”の字もないような状態だったんです。
売れるものと売れないものが極端で、有名銘柄は手に入らない。かたやマイナーなお酒は売れない。お酒自体の質はいいのに、なんでみんな飲んでくれないのかな?どうしたら飲んでくるのかな?と思っていました。
ならば、店に来た人だけじゃなく、不特定多数の人に飲んでもらうことによって、日本酒を飲んでくれる総人口を増やせるんじゃないかなと思ってイベントを始めたわけです。ホント草の根ですけどね。
震災後に東京の人たちとつながりできたので、東京でも福島のおいしさをアピールできる場を設けて来ました。今でこそ飲んでもらえるようになりましたけど、こんな時代が来るとは思っていなかったですね。
橘内さんオススメ! 福島の日本酒
橘内 今や飛ぶ鳥を落とす勢いの宮泉銘醸さん。 全国区となった冩樂を醸す蔵元さんです! こちらの宮泉はどちらかと言うと地元の福島県向けに設計されており、『サケコンペティション2018』の純米酒部門におきましてはグランプリ(市販酒の純米では日本一)も獲得した実力派の蔵元さんです。 品の良い甘さとジューシーなうまみがファンを離しません。
橘内 福島県の若手醸造家の1人。 近年の曙さんは酒質の進化が目覚しいものがあり、よりクオリティーの高い天明が仕上がっております! これも蔵元さんの大幅な設備投資と蔵人スタッフの若返りによるものが大きいですね。 こちらの天明は、数ある天明の中でも定番の看板酒です! 搾ったお酒を一年間熟成をさせてから出荷というなんとも贅沢なお酒なのです。 やや辛めで程よい熟成感は、冷やはもちろん、燗でも美味しく召し上がれます。