文:内海佳代子 写真:大森ちはる
酒蔵見学者を吉野杉の森へ案内する杜氏がいるときいた。
デザイナーが、自然からインスピレーションを受けてモチーフをつくるという話しはきいたことがあるが、お酒を造ることと森、私にはどうも接点が想像できない。
それに酒造りときくと“代々造りかたを伝授され・・・” という相伝のイメージがある 。
それが、わざわざ森に案内してまで伝えたいことって。
「きいてみたい」「みてみたい」
奈良県 美吉野醸造の杜氏・橋本晃明さんにお話を伺いに行ってきました。
2ページ目 : 酒造りの「こういう考え方」の考え方とは。
3ページ目 : キーワードは「濃度」。点と点が繋がってゆく。
4ページ目 : 自然をコントロールする先人の知恵。
どうして、「吉野の酒造りって」と考える必要があったんだろう。なぜ、他と一緒じゃいけないの?
橋本晃明さん(以下、敬称略) 僕がこの業界に入ったときは、どちらかというと均一的で、しかも安定っていう時代になっていたんですね。明治43年に速醸酛(*1)ができて、酵母添加(*2)する技術が生まれて、それ以降どんどん均一化に向かっていったんです。つまり、吉野であろうが、奈良市であろうが、大阪であろうが同じ酒造りなんですよね。
(*1)速醸酛:純度の高い醸造乳酸「乳酸」を添加して、その酸で酵母を雑菌から守る醸造法。
(*2)酵母添加:培養した「酵母」を添加すること。
内海 では、みんなが酵母添加している時代の中で、美吉野醸造さんが製造する全てのお酒を酵母無添加で造ろうと考え始めたきっかけは何ですか。
橋本 山守り(*3)さんからのオファーで、製材業と樽丸業と醸造業でやった『木桶仕込みの復活プロジェクト』なんです。それまで特に「吉野の酒造り」ということを考えたことがなかったんですね。でもその活動の中で、「吉野って何やろ」と考え始めたんです。
(*3)山守り(やまもり):森林の管理、保護、作業の監督にあたる人。間伐、植林など。
内海 はい。
橋本 江戸時代に桶樽で発達したのが吉野林業で、桶樽をつくるための林業をずっとしてきたんですよ。杉ってどこの杉もみんな一緒に見えるじゃないですか。でも「なんで吉野杉がいいの?」って考えたときに林業ってものづくりやなって思ったんです。それと酒米の農業。林業と農業の二方向から「何やろ、吉野の酒造りって」と考えるようになりました。
内海 林業と農業ですか。農業は、どういうところから考えるようになったんですか。
橋本 現在、五條にある王隠堂農園の10件の生産者さんに酒米をつくってもらっているんですが、この地域では均一な米はつくれないんです。
内海 どうしてですか。
橋本 ここは、平野部の田んぼもあれば、山間部の田んぼもある。田植えをするにも山水を使っているところもあれば、吉野川分水から引いているところもある。分水からだと順番待ちがあるので、一斉に田植えができない。玉ねぎとの輪作をしているところでは、収穫してからとなる。と、こういう理由で同じ時期に同じ品種を植えることができない。たとえ、同じ品種を植えることができたとしても山間部と平野部では日照時間が違うので、できが違ってくるんです。だから、こういう米がいいから、こういう米ばっかりつくってください、ということは求められないんです。
内海 そのことも「吉野の酒造りって」と考える要因なんですね。
橋本 はい。