勝手に灘五郷アースダイバー vol.02

【生田神社】酒、醸すのも多生の縁

(前のページ)
文脈はないが、縁がある。

「栄え水」転じて「酒」となす。古代の名付けの精神性。

科学的な探究が追いつかない目の前の現象、「よくわからない」ことの解釈を人智を超えたものに託すのは、ワールドワイドなひとの智恵なのだろう。お酒そのものも、ひとつの解釈だったらしい。

醸造は気候や湿度に大きく作用され、同じ製法でも毎年出来上がりの質が異なります。古代の人たちはそこに神性を感じ取りました。お酒は神がつくるものと考えたのです。延喜式の時代、宮中では造酒を司る神として「佐加美豆男神(さかみずおのかみ)」「佐加美豆女神(さかみずめのかみ)」の二神が祀られていました。「酒」は「栄え水」が詰まった語。水が略されて「サカ」となり、やがてこれが「サケ」となった。もともと、これを飲めば非常に笑み、栄え、たのしむものだったんです。一方、「サケ」の「サ」は梵語で意味はなく、そこに「神酒(当時は”キ”と呼んでいた)」が転じて「ケ」が付き、「サケ」となったとする説もあります。

名付けって、託す・委ねるの精神性の産物だ。祈りなんだな。そう思って聞き入っていると、加藤さんは神社の名前の謂れも教えてくださった。

今から1800年前、日本書紀の時代に、神功皇后が三韓征討を終えて大和に凱旋した際、難波の港に向かって船を進めたところ、途中で止まってしまい、神から「向こう」(武庫)に引き返せと告げられました。武庫の港で再び占うと、天照大神、稚日女尊(わかひるめのみこと)、事代主命(ことしろぬしのかみ)が現れ、「自分を広田国に」「活田長峡国に」「長田国に」と。お告げに従ってそれぞれをお祀りしたのが、廣田神社・生田神社・長田神社なのです。いずれの神社にも「田」が付きますが、それは、廣田神社のまわりには広々とした田んぼ、生田神社のまわりには生き生きとした田んぼ、長田神社の周りには長い田んぼが広がっていたからです。当社(生田神社)が「縁結びの神様」といわれるのも、「縁が活きる」が「生き生き」に由来するご利益なのです。

一見、安直とも思える言霊の深淵さ。大学時代に民俗学の授業で聞きかじった「国ほめ」を思い出した。「山がある、川が流れている、谷が深い、緑が濃い」と目の前の風景を描写することが、そこに写生されたものを祝しているのだと。言祝ぐ行為によってその地の神様を敬い、神様に守ってもらう儀式らしい。

敏馬神社は「縁切り神社」といわれておりますでしょう。けれども、特段、そういう逸話があるわけではありません。 先にお話したように、敏馬神社も廣田・生田・長田と同じく延喜式に記載されていました。延喜式に記載された神社は「式内社(しきないしゃ)」と呼ばれ、格式の高い神社とされていたんですね。「縁切り」は、延喜式が「エンギシキ」→「エンキリ」と訛った結果なんですよ。

えーーー。謂れなき悪評ではないか。言霊のおそろしさよ。しかし、自らの意志で離婚もままならなかった時代には、「縁切り」もひとつの祈りだったのかもしれない。映画「駆込み女と駆出し男」のように、人生の再出発を願うドラマが、ここでも。もしかしたら。

アースダイブも、「国ほめ」かもしれない。

加藤さんの講義は、ここまでのお酒と生田神社にまつわる話にはじまり、神話、平清盛、明治から昭和にかけて、阪神・淡路大震災(震災翌年にシンディ・ローパーを生田神社に迎えたのも加藤さんだったそう)、神戸まつりと、時空のドライブが止まらない。私たちがこうしてアースダイブできるのは、加藤さんをはじめ、先人たちの記録と紐解きのおかげと感じずにはいられなかった。

昔、法事でこんな説法を聞いたことがある。「仏教の経典のひとつである般若心経の末尾には、『陀羅尼(だらに)』といって、原文のサンスクリット語の音のまま、漢字に翻訳されていない部分があります。陀羅尼は、『悟りを成就できますように』ではなく『悟りを成就した』の意。文法的に、未来形でも現在進行形でもなく、現在完了形で祈っているのです」

「現在完了形で祈る」という古代インドで編み出されたテクニックも、「山がある、川がある」と言祝ぐ「国ほめ」に通ずるように思う。「勝手に灘五郷アースダイバー」と名付けたこの企画、私たちをダイブにいざなうのは、「いまここにある」ことを知り、言祝ぎに参加したいという欲望なのかもしれない。

生田神社
神戸市中央区下山手通1丁目2-1
公式ウェブサイト