文:山本しのぶ
神戸に住んで10年近く。「新開地」という場所は、地名として聞いたことはある、だけど行く用事はない、そんな場所だった。
ここ最近になって、仕事を通して神戸という街の成り立ちや文化を知る機会が増え、いつのまにか「新開地」は、「知らない場所」から「よく分からないけど気になる場所」になっていた。
天井川である湊川を埋め立てた跡地に、自然発生的に生まれた繁華街。かつて劇場や映画館が立ち並び、1960年代ごろまでは「東の浅草、西の新開地」とまで呼ばれるほど、神戸で一番栄えていた。しかし、やがて神戸の中心地は東へ移動した。
かつて華やかだった街。
ドヤ街、風俗街を内包し、どこかあやしげな街。
そんななかで長く愛され、続いてきた店を残す街。
いろんな顔をひっくるめて、「B面の神戸」とも評される、どこか大人な街。そんなイメージ。
夜の新開地をひとりでふらっと「旅」してみたらどうだろう? この街と出会うことができるのだろうか。そう思ってやってきた。
ほろ酔い、入れ替わり立ち替わり。
夕方、JR神戸駅を降り、ひたすらに長い地下街を新開地方面に向かって西へ。
「メトロ神戸」と名づけられたこの地下街は、阪急・阪神・山陽・神鉄の4つの私鉄を結ぶ高速神戸と新開地駅のあいだにできたという。
突如として、古本屋や卓球場が出現する。改装されているけれど、天井の低さが昔の地下街っぽい。
飲み屋街が見えてきたのは、地下街の西端。「ほろ酔いセット」に魅かれて、お店に入ってみた。頼んだのはBセット。ドリンクは日本酒一合。
銘柄は菊正宗。おでん、枝豆、唐揚げ。これで600円。幸先いい。
「今日は白熱してましたね」。女性店員さんが帰る用意をしている高齢男性2人組に声をかける。70代くらいだろうか。
「バスで帰るの? 気をつけて帰ってね。また来週お待ちしてます」と、冗談めかして見送る。
「あっ、転ぶ!」
と別のお客さんが声を上げた。どうやらいま出ていったお客さんが店の外でふらついたようだった。大事には至らなかったようで、店内の空気はまた元に戻る。
入れ替わり立ち替わりしているうちに、店内はひとり客のみになっていた。
「もう飲めるようになったの?」
「来月の検査で分かることになってて。もうすっかり元気なんですけどね」
常連さんと店長さんがときおり話す以外は静かだった。
「これに懲りずにまた来てくださいね」
お会計の時、そんなふうに声をかけられた。そんなに馴染めてない顔をしていたのだろうか。
ぶらり、じわじわ、喜楽館。
酔い覚ましに夜風にあたろうと地上へ。
見えたのは、喜楽館の大きなちょうちん。2018年にオープンし、かつて劇場や映画館で賑わった新開地に定席の寄席を復活させた劇場だ。
神戸新開地喜楽館ホームページ
せっかくだから入ってみよう、と中へ。聞くと、ちょうど夜席の中入り(休憩)中。
「今日は珍しく東京から演者さんたちが来られてるんですよ」
と言われて劇場に入る。
どっかんどっかん大笑い、というよりは、じわじわとしたおかしみが積み重なってくすっとする。芝居や踊り、お座敷遊び、男女の色恋……。江戸文化の教養があったら、もっと面白いかもしれない。
前の席の女性2人組は、30代くらいだろうか。最後から2人目の三枚目風落語家さんのファンらしい。彼の持ちネタに、ふふっとしながらつっこむ仕草をしていた。
「また、今度。次は落語会かな」
「うん、またね」
寄席が終わり、女性2人組が別の女性に声をかけて帰っていった。
夜の湊川公園で、世界の端っこに立つ。
もう少し歩いてみたいなと思い、北へ歩く。楠木正成の像がある湊川公園から階段を降りて、ミナエンタウンへ。
スナックやら、生演奏が聞こえてくるお店やら。
ちらっと見えたおじさんたちのバンド演奏には、お客さんがいないように見えたけれど……。それともお客さんが飛び入りで演奏していたのだろうか。踏み入れるにはなにかが必要な気がして通りすぎる。
あとから調べてみると、この場所、ライブバーが集まる場所として知られているらしい。いろんなお店から音が漏れてきてたのは、そういうことだったのか。
結局、たこ焼きと「まる」のカップ酒を手に湊川公園へ戻った。ベンチに座って夜の公園で一息つく。花火をしている若いカップル、犬の散歩をする女性、イヤホンをしてベンチにひとりで座っている男性、煙草を吸う若者たち。
交わらない、だけど、一緒にいるひとたち。
下戸。3歳児を子育て中。平日はほぼワンオペ。寝かしつけしながら気づけば寝落ち。
という私にとって、こんな夜は非日常。地下街、飲み屋、寄席、ライブバー、夜の公園、手に持ったカップ酒。それらとの距離感を測りながら座っていると、世界の輪郭が少しずれる。いつもは子どもと寝ている時間だなと思いながら飲んでいると、自分がはるか遠くからやってきたような気になった。
「旅」とは世界の広さと深さを知る端っこに立つことかもしれない。
その接点で自分自身が変容する。
もしかしたら、日本酒がお米から酒に醸されることや、お酒が儀礼などで別世界の入り口とともにあることも重なるのかもしれない。
そんな仮説がふと浮かんだ。