本当は美味しい日本酒に、なぜか苦手意識を植え付ける「日本酒○○感」に関する考察【2/2】
2.<考察>
ここまで、私が本当は日本酒を美味しいと思っているのに、なぜか苦手意識を感じる元凶となる「日本酒〇〇感」の3つの代表例として、①「日本酒<正解試され>感」、②「日本酒<知識量試され>感」、③「日本酒<違いがわかれ>感」を確認してきました。これらの現象は、①「さあ君は果たしてひとつの正解にたどり着けるかな?」感のプレッシャーに長年晒されてきた人が、「だっさ!」とか「残念、ブー!」と言われるリスクを回避するために「私はすべて知っている、そのうえでこれを頼むのだ」と周囲に伝えるために持てる知識と思考プロセスをすべて開示するという防衛スタイルを身に着けてしまったことで②「日本酒<知識量試され>感」が生まれ、その結果「①②のハードルを越えて日本酒を頼む人は、誰もが味の違いがわかる通である」イメージが世間に流布したために、③日本酒を頼む人は「違いがわかれ」感という圧力が生じる……という関係性にあると考えられます。
さらに、③「日本酒を注文するなら違いがわかるだろう」という圧力が、①「君が選んだのは正解かな?」のプレッシャーをさらに増強するという負のスパイラルを生じさせてしまうことが、容易に想像されます。
「世間からの圧力に負けないように個人が防衛力を高める」→「防衛力を高めた個人の増加により世間からの期待値が上がる」→「それによってさらに個人への圧力が上がる」は、同調圧力が強い日本において、しばしば見られる構造です。代表例として、紺スーツで黒髪の一方で一定の枠内の個性を求められる「就活スパイラル」、リア充すぎないほどほどのリア充の殴り合いになる「SNSスパイラル」、仕事も育児も完璧にこなすことが求められる「ワーママ・スパイラル」、従業員を守る家長としての役割を演じ孤独に陥る「経営者スパイラル」等が挙げられるでしょう。
例示した就活生、SNSユーザー、ワーママ、経営者を考えるとわかりますが、いずれもプレッシャーによる疲れから精神的不調をもたらしやすく、最悪の場合には命に影響を及ぼす場合もあります。そうすると、このままでは「日本酒スパイラル」もまた、本来「百薬の長」と言われるほどの健康効果が歴史的に語り継がれてきたにもかかわらず、このような同調圧力が高まり続けることによって、最悪の場合には個人の命に影響を及ぼすようになる可能性もないとは言い切れないことになります。
思うに、圧力にさらされて心が折れる就活生、SNSユーザー、ワーママ、経営者は、いずれも「被害者」です。彼らは世間からの不条理な圧力に対して、自分のキャパシティを超えてまで真摯に対応しようとした結果、個の方が限界を超えてしまったのです。責められるべきは彼らではなく、彼らに過剰な期待を押し付ける日本という社会の方です。
とすると、「日本酒感」の被害者である彼・彼女ではなく、むしろその頑張りをこうして冷ややかに眺めることで「世間」の一員として追い詰めている我々の方が、態度を変えるべきだと考えます。たとえば、メニューや注文のフェーズにおいては「(今日の)店主のおすすめ」のようなプレッシャーの少ない選択肢を用意する、あるいは乾杯が想定される場面を中心に(ワインのように)1杯めは店側がサーブまでする、などの方法が考えられます。また、宴席を囲む我々こそが、「圧力をかけない」態度で日々過ごすことで、日本酒を気軽に頼み、楽しみやすい環境をこの日本に育てていくことが何より重要である、と……。
いや違う。これらはすべて「日本酒」を過剰に特別視する、私自身の眼差しに起因しているのです。世の中を「日本酒好き」と「そうではない人」に二分し、分析する、その冷ややかな眼差しこそが、いかにそれっぽい対応策を導いたとしても、結局は分断、差別、戦いを生じさせます。自分の中にもあるそのような「日本酒〇〇感」およびそれへの偏見を含めた意識すべてをふくめてしっかりと認識し、愛おしむ。それこそが、「日本酒〇〇感」による加害も被害も抜本的になくす、最良の方法なのでしょう。なぜなら、これらの「日本酒〇〇感」は、私の幻想に過ぎないからです。もしもあなたもうっかり同感していたとしても、それも幻想です。
その証拠に、これらの「日本酒〇〇感」は、ちょっとお腹にたまる粉もんもアテとして頼む3杯目くらいには、すっかり消えてなくなっているはずです。要は「ごちゃごちゃ言わずに、ま、一杯飲もうや」ですね。
(註)文中に出てくる日本酒は、すべて「白鶴錦」を原料として製造されています。
「独自開発酒米「白鶴錦」を使用する蔵元12社が意見交換 」(白鶴酒造HP ニュースリリースより)
2/2ページ