アッチからコッチの町、終着点は知らない。ー腐ってもふるさと、の地元旅(兵庫・三木)ー

文:やすかわのりこ 画像:十倉里佳

私のふるさとは兵庫県三木市。大阪での生活に終止符を打ち、この地に帰って数年たつ。ある朝、叫ぶ。「旅なんて、家の周りで、できんじゃん!!!!」。目の前には、いつもの散歩道にあるため池が、朝日を映してきらきら光る。人生はいつだって予測不可能なんだ。

相変わらず、かゆいところに手が届かない中途半端な田舎。「何にもねえな」で、飛び出した町。だけど今、居心地よくて。

ひび割れ始める錯覚

コッチに帰って、私は再び日本酒を飲むことになる。三木にも地酒があり、友人に「騙されたと思って一回飲んでみな、きっと気に入るはず」。なんだかなぁと口に含むと、若気の至りゆえの失敗を全て清算してくれた。美味しい! 恥ずかしい過去からの解放は、私とは違う理由でコノ町を後にした古い友人の里帰りの際に買い求めるようになった。早歩きで10分程、町の真ん中を走る川に架かる橋を渡り、その先にある湯の山街道へ。

湯の山街道は戦国時代にできた道で、それに沿って宿場や商店が軒を連ね、その後、腕のいい職人が集まり、商売の町として栄えたらしい。当時は神戸よりもコッチが都会だったと、とある人は言う。三木は金物と酒米『山田錦』の名産地だ。三木の地酒にも当然『山田錦』が使われているのだけれども、ちょっと待て。……マジか。なんで、コノ町に酒蔵があるんだ? まるで認識はない。これまで疑問を持たなかった自分がいた。

なまなましく生きる人

私の知らない時代の空気を吸いに、生き字引に会いに行く。『ギャラリー 湯の山みち』の筒井さんは昭和一桁生まれ。自身が集めた三木の染形紙や歴史資料などを公開している。雨の日は、なぜか出かけてしまう可愛い人であり、なまなましく生きる人。

筒井さん「コノ町は、金物やと言うけど、他にもたくさんある。声を上げんとないことになってしまう」

この場の産声が聞こえた気がした。かっこいい。昔々、三木は綿の産地で綿を紡いで糸を作り、機織りをし、出来上がった布に、染形紙で模様を入れて藍で染めた。当時、川沿いには染物屋も点在し、私の生まれた地区に、立派な染形紙職人がいたと知って嬉しかった。染形紙職人は、金物職人に型を切る道具の整備を頼んでいたというのは、金物が盛んになる前の時代の話だ。だけど、昔のコノ町は、そんな景色を手放した。そうそう、話を日本酒に戻そう。

筒井さん「戦前は、なかったら作る。そんな時代やったから、どの町にも酒造会社と卸し酒屋があった」

筒井さんのおじいさんに当たる人は、コノ町で日本酒や油などを扱う商店を営み、そろばんを作って売っていて、子どもの頃は、塗装したそろばんの珠を乾かしている茣蓙(ござ)の周りを友だちと走り回って、足に引っ掛けるたびに怒られたと、筒井さんは懐かしそうに話す。その頃の量り売り用の酒瓶、海外輸出用のおしゃれな酒瓶、贈答品の酒器、お店の伝票など一見捨てる様なものまで日記みたいにとってある。そこには、人が押し合いへし合いして暮らすさまが、生き生きと浮かびあがってくる。

筒井さん「あの頃は、皆で助け合いながら生きてたからなあ」

ある日のことを思い出す。道に迷ったおじいさんを車に乗せて目的地に送ったことがある。『困った時はお互い様』と、いうやつだ。おじいさんは喜んでくれたけど、周りには『危ない』って、いう人もいた。こんなのんびりした町でさえ、家から一歩出れば知らない人。地域を見守りなんていうけど、子どもに声掛けした瞬間、自分が不審者事例になるかと冷や冷やする事もある。『人に迷惑を掛けたらあかん』の今昔、前提の違いなのか。ちぐはぐなようでいて、雑味を除き過ぎたような共生か。私の中で言葉の意味がゆがみ始めて、思わず訊いた。

―今と昔、どっちがくらしやすかった?

筒井さん「いつでも長短あるわな」

―そっか。今の私には、まだわからない答え。

蒸し暑い日、ギャラリーの二階はとても風通しが良かった。

望遠鏡を放り出せ

望遠鏡をのぞくように生きていたんだな。この町を見ようとしなかっただけ。素敵なものはあったのに。

実家の縁側で、以前こんな話をした。

父「最近は、ええ日本酒が飲まれへんわ。どうも、べちょべちょして、ようさん飲まれへん。今は二級酒がちょうどええ」

まるで、遅れてきた夏の自由研究は、私に望遠鏡を放り投げさせ、虫眼鏡に持ちかわった。時間が止まったままの漠然とした映像の中を歩いていたみたいだ。時につれ、自分にとっての心地よさの基準も変わった。この中途半端が、今では私を笑わせる。したがって、たかが愛くらいの愛おしさが、今の口に合っているのだ。

ふらり、酒蔵へ寄る。コロナが流行り出してから訪れることがなかった。家飲みさえ躊躇する毎日だったな。アッチからコッチ、うろうろしたけど友だちと呼べる人、そうよんでいいのか自信がない自分にも出会った時期だった。「古酒ください」。純米酒から今はすっかりこれだ。お会計をしながら、なんで、コノ町の酒蔵が少なくなったのか聞いてみた。調べていくとはっきりした数は解らないが、最盛期には十数軒の造酒屋があったと噂で聞いたから。

「詳しいことは、社長ならわかると思うので、少々お待ちくださいね」。温かい。これが、『田舎の人は親切だ』。という言葉の由来かと思ってしまう。ココの人であるというのに、なんだか情けない自分に笑ってしまった。

なんでこんなに居心地のいい町になっちゃったんでしょうかね?

三木の歴史資料館や市役所の観光課の人にも聞きに行ったけど、なんで酒蔵があったのかって言う資料はなかった。でも酒米から綺麗な水であることや、山田錦が近年のものである事も知って。もう少し、ざりがにの尻尾は見えてる。

そうしたら、小さなころ、両親から三木の水はきれいだから、おいしいんや。って、よく言われてたことを思い出した。良い水が良い米を作った。山田錦は凄いけど、その前の米もそうだったのかもしれない。その頃の私が今より素直でコノ町が好きだった子のように。ここは盆地やからと話す両親の顔を思い出す。私調べになりますが、盆地特有の気候、例えば一日の温度差や、冬の風は、乾いた冷たい風が吹く。それが酒造りにはあっているそう。町の真ん中に流れる川っていうのも、いい環境だって言われることがあるらしい。

確かに、私もこの土地に生まれて、川は、じゃんじゃん、山にもお世話になって大きくなった。冬の風は、今もとても痛い。でもそれが、今でも私を作り動かしている。それにしても、こんな中途半端な町から今はあまり出たくない。欲しいものは、やっぱり外にある。好きなバンドのライブや、ミュージカル、おしゃれな服や、昼から飲めるお店。だけど、早く帰りたいなって思ってしまう。

そんな自分の変化にすら疎い自分であるけれども、できれば毎日笑って生きたい。おとーちゃん、おかーちゃん、おにーちゃん、おねーちゃん、小学校からの友だち。悪い遊びを始めたのはその頃からかと、自分の成り立ちを思うと、「ここに全部あるじゃん!」ってね。だから、私は今、ふるさとを暮らしているところです。

ギャラリー 湯の山みち

兵庫県三木市大塚2丁目2-20
TEL 0794-82-7873
HP http://www.yunoyama-michi.com/
「筒井さんの探求心には頭が下がります。三木の歴史だけでなくたくさんの化石が所狭しと展示してあり不思議な空間が味わえます」

三木市立みき歴史資料館

兵庫県三木市上の丸町4-5
TEL 0794-82-5060
HP https://www.city.miki.lg.jp/site/mikirekishishiryokan/
「歴史が好きな方、そうでない方でも楽しんでいただけると思います。わからないことがあれば学芸員さんが親切に教えてくれます」