文:原かおる
お屠蘇といえどもお酒を飲ますなんて。
炭酸ジュースは苦手なのだが、ビールは飲める。ワインは赤、バーボンやブランデーは飲み方にこだわりがある。ただ、日本酒。と、なると困ってしまう。そのわけは、幼い頃の我が家のお正月にある。
一年のはじまりを祝うお正月、ご先祖さまに手を合わせたあと。湯吞み茶わんとおちょこを五つずつ持ってきて、ちゃぶ台に置く母。父は梅干しの入った壺から、少しずつ梅の実と紫蘇を箸でつまんで湯飲み茶わんに入れてお湯を注ぐ。ストーブにかけてあったやかんの中にはお酒(日本酒)の入った徳利、おちょこに少量注ぐ「お屠蘇」わが家のお正月のしきたり。最初に梅茶、次にお屠蘇。お屠蘇を飲んだ瞬間、口の中が「かぁー」と、熱くて苦い、飲み込むとのどが焼けて痛い。なんでこんなものを飲むのかわけがわからなかった。子どもにお屠蘇といえどもお酒(日本酒)を飲ますなんて。父を恨んだ。大人になってもお酒(日本酒)は飲まないと心で誓った。
飲んでるおとうちゃん大嫌いやった……はずなのに。
大人になっても飲まないと誓ったが、そうもいってられない付き合いがある。お屠蘇以外に、二十歳ではじめて飲んだお酒は、ディスコでコークハイ、レモンが添えられてお洒落な飲み物だった。バブル全盛期にスナックで飲んだスーパードライは、苦味がなくてのどごしがよかった。独身時代は、ビール党。結婚してからは発泡酒、今はビール系。とはいえ、普段見ることのないテレビをつけた瞬間に「日本酒の特集」、何気なく手に取った冊子には「日本酒について」と書かれてあり。日々、日本酒と不思議な偶然の連続。DEMOくらし編集部に入ってから私に日本酒を引き寄せているのは偶然ではなく必然と感じて、白鶴酒造資料館に行ってみることにした。
白鶴酒造の建物は、子どもの頃から見慣れていた。阪神御影駅高架沿い住吉方面に歩いていたら、白鶴酒造資料館の看板を見つけて右折。まっすぐ歩くと国道43号線。信号待ち、ふとこどもの頃、父からいわれていたことを想い出した。「よん・さん(43号線)いったらあかんでぇ危ないからなぁ」。あかん、嫌なことも想い出してきた。一家に一台しかないテレビのチャンネル権利は父。父は耳が悪くテレビの音が聞こえないから、イヤホーン付けて大音量。野球のナイター見ては、お酒(日本酒)毎日飲んでた。お母ちゃんといっしょに話をして笑っただけやのに「なにが可笑しいんや」と、怒られる。飲んでるおとうちゃん大嫌いやった。亡くなる一年前には「タバコやめられへんけど、お酒ピタッと飲まんようになってん」っていってた。浴びるほど飲んでたお酒が、飲まれないぐらい身体わるかったんやね、気付けなかった「ごめんなさい」。
はじめていく白鶴酒造資料館の道中で父のことを想い出すなんて、父は上手なお酒の飲み方は教えてくれなかったけど「お屠蘇」で、父の愛情を知ることになるなんて。日本酒はいい意味でも悪い意味でも、わたしにとって「特別なお酒」。
父が大好きだった日本酒を知りたい。飲んでみようかな。楽しめるようになるには時間がかかりそうだけど。
心の中で父を思い、白鶴酒造資料館。
ひとりで来たのに父といっしょに来たみたい。