じぃじ。

                                        文と画像制作:十倉里佳

両親と、父方の祖父母と暮らしていた。
親が共働きだったこともあり、私と弟は「じぃじ ばぁば」と過ごした記憶の方が多いよ
うに感じるし、たいそう可愛いがってもらっていた感覚がある。

じぃじ は理容師さんだった。白いTシャツに黒い革ジャン、ジーンズに下駄をつっかけてサングラス…年がら年中このスタイルで、月曜の休み以外は10キロほど離れた店に自転車で1時間弱かけて通っていた。くわえ煙草をふかしながら。絵本やテレビ、近所のおじいちゃんとは、なんだか少し空気感が違う人だなぁというのは幼心にも感じていたのだけれど、私とは妙にウマがあって大好きな じぃじ だった。

じぃじは昔、お酒と博打が好きで祖母と父に相当な苦労を掛けたらしい。そのせいで父はアルバイトをしながらようやく高校を卒業し、2人の妹たちも父が働いてなんとか高校を卒業させたという話を何度も聞いた。なんだかんだいっても長男という責任感からか、結婚後は自分が購入した家で両親と同居していた父だったのだけれど、折り合いはあまりよくなかった印象がある。喧嘩こそしないものの、目を合わせて会話をしているところをあまり見たことがない。

確かに じぃじ は日本酒が好きで、毎日晩酌をしていたけれど、大酒を飲んで酩酊したり暴言を吐いたりなどという姿はただの1度だって私はみたことがない。幼い頃の香りの記憶が、様々な景色や感触と共に今もある中で、じぃじ は酒臭いどころか、いつも石鹸とシッカロールの香りがした。博打ではなくて、将棋が好きだっただけ。家に居る時はきまって新聞の将棋欄とにらめっこしながら、盤と駒をパチパチ鳴らしていた。かなり強かったらしく、店のお客さんから噂を聞きつけた人が、一度お手合わせお願いします、と家に訪ねてきたこともあった。勝敗にもこだわっただろうが、それだけではないはず。

貧しかったことで苦労も、様々な想いもたくさん抱えてきたであろう父が、時折 じぃじのことを悪く言ったりしたけれど、その話の中に出てくる人と じぃじ が結びつくことはなかった。まぁ、今思えばあの外見。若い頃は少しだけ、そういうこともあったのかも…と思わないこともないけれど、今の姿を受け入れようとせず、昔のことをいつまでも引きずる父の方が大人げなくて、私は嫌いだった。

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仕事が早く終わった日には、自転車で近所の駄菓子屋に連れて行ってくれたじぃじ。園児の私が駄菓子ではなく、じぃじ の影響で「まむしドリンク」と「朝鮮人参ドリンク」にハマっているのを母に見つかり、咎められたにも関わらず「美味しいもんなぁ、たまにだからいいじゃんなぁ。」と内緒で買ってくれた。

一度、遠くの親戚の家に、私だけをお供に連れていってくれた じぃじ。冷凍ミカンやお菓子をたくさん買いこんで鈍行に乗り、弟と半分こしなくてもよい状況に嬉々としている私の姿を、カップ酒を傍らに、煙草をふかしながら笑ってみていた。

「ちょっと伸びてきたから切るか?」と、私が大阪の大学に進学するまでは、ずっと専属のスタイリストでいてくれた じぃじ。テレビや雑誌で流行りの髪型を研究して切ってくれたりもした。

老人ホームで散髪ボランティアをしたいって私にだけ教えてくれた じぃじ。まだやりたいことがたくさんあるという姿がとてつもなく格好良かった。だけど、その矢先に交通事故に遭い、みるみるうちに身体も精神力も衰えてしまった 。

病院のベットで「お前には苦労かけてすまなかった」って ばぁば に初めて言ったらしいじぃじ。毎週お見舞いに行っていた祖母が暫く顔をみせないのをたいそう心配していた。実のところ祖母は、ある日突然亡くなってしまったのだけれど、父が思うところあって伝えるのを控えていた。半年後に聞かされ、それからじきに、後を追うように亡くなってしまった。

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あれからどのくらい経っただろう。

私は実家を離れてから美容院に行くようになったけれど、髪を洗う時の強さやハサミのリ
ズムが じぃじ のそれと違うことが毎回気になってしまう。抱いてもらう事が叶わなかったわが子の髪を散髪しながら、じぃじ が見ていた景色はこんなだったんだろうかと思いを馳せる。

じぃじ の手の感触も、香りも、全部覚えているけれど。一緒に暮らしていた頃はまだ子どもだったし、じっくり話をしたことはあまりなかった。髪を切ってもらいながら話したいことが、今はたくさんたくさんあるんだけどな。じぃじ は、母の作った食事をあまり口にしなかったこともあって父母との関係が余計に思わしくなかったのだけれど、なぜそうだったのか…今ならわかるような気がするのに。

ーーーねぇ、じぃじ。

あまり飲めなかった私も最近、日本酒で晩酌するようになったんだよ。あの頃、家でお酒が飲めるのは じぃじ だけだった。一切飲めない母が作るメニューはお酒のアテにはなりづらかったんだよね、たぶん。

じぃじ は、お味噌にネギや唐辛子…思いついたそばからあれこれ混ぜ込んだのを作っていたでしょう? なんだか不気味で味見はしたことなかったけれど、うん、察するにあれは日本酒にすごく合うと思う。あと、寒い時期に仕込んでいた白菜の漬物も。作り方をしっかり教えてもらっておけばよかったなぁ。一連の作業風景は浮かぶんだけど、確か乾燥させたミカンの皮を入れてたよねぇ?

晩酌用のアテを作っている時は、今まで隅の方にぼんやり置いていた記憶が鮮明になってくる気がする。

「じぃじ、これはお口にあいますでしょうか?」

ご機嫌な時によく吹いていた、あのハーモニカの音が聞こえた。