文・写真:川本まい
自転車を駐輪スペースにとめて、境内を歩くと砂を掻く音が聞こえてきた。
地面には踏んでしまうのが申し訳ないほど綺麗に、等間隔の筋模様ができていた。私が足を踏み出すのを躊躇していることに気がつかれたようで、「どうぞ、遠慮なく」と地面をならしていた方が優しい口調で声をかけてくれた。 いつになく そろり と地面を踏みしめながら進む。そんな姿が江戸時代にもあったのだろうか、着物姿の人々が草履を履いて参道を行き交う姿が脳裏に浮かぶ。シャリンシャリンと音を立てて本殿に向かうとより一層、神聖な空気に全身が包まれていくような気がした。
本殿を後にし、境内を歩いていると酒樽がずらっと並べられている場所があった。江戸に向かってお酒を運んでいたという樽廻船の模型もあり、そこにはしっかりと酒樽が積まれていた。
再び自転車に乗って街をめぐる。
あちらこちらにお酒にまつわる看板がある、特に目をひいたのは宮水という言葉。私はお酒は飲めないけれど、にしむら珈琲へ行った時に伝票裏に宮水の文字があったことを思い出す。調べると「灘の酒を育む宮水が、豆に生命を吹き込む瞬間。」と書かれていた。お酒に限らずコーヒーにもおいしさをもたらしてくれる宮水の存在が不思議で仕方がない。宮水発祥の地には石碑と、少し進むと銀色の円盤がたくさん置かれている。その不思議なかたちのモニュメントはふるふるふーと、地面の下から水が溢れ出ているように見える。お酒もコーヒーもおいしくなるように生命を吹きかけてくれているようだ。
夕日が沈む、海の方へ自転車を走らせた。黄昏時、マジックアワーと言われる時刻、きっとそこにはいい光がある。海に着くと聞こえてくる、ぽちゃんぽつんと江戸へ酒を運ぶ樽廻船のために作られた今津灯台が佇んでいた。今はさまざまな建造物に取り囲まれており、灯台だけが取り残されているような寂しさを感じた。灯台ではあるけれど、役目はもう終わってしまったのではないかなと思いつつ夕焼けの光と共に撮影をした。
帰ろうとしたその時、女性に声をかけられた。
見上げると灯台の中に緑色の光が灯るのが見える。あ、ほんとだ。
私がカメラを持っているのを見て、灯台に灯りがついたことを教えてくれたそうだ。それからぽつりぽつりと、季節によって太陽の沈む位置が変わること、お正月になると灯台にしめ縄が飾られること、周りに増えた建物のこと、毎日のように散歩をしているというこの場所について教えてくれた。長い間、飽きることなく小さな変化を発見してはそれを楽しんでいるのだという。
まるで灯台が見てきた光景を彼女の口を通して聞かせてもらっている、そんな気持ちになった。江戸時代から毎日ここにあり続ける今津灯台は今、建造物に取り囲まれて役目を終えて寂しいなんてことは無いのかもしれない。ただ静かに彼女のように変化見守っているような気がする。私は心の中で明かりを灯す灯台に、役目を終えたと思ってしまったことを謝りつつ、声をかけてくれた方にお願いして写真を撮らせてもらった。そして、空が暗くなるスピードに合わせるように自転車をこいで駅に向かった。