勝手に灘五郷アースダイバー vol.01

【敏馬神社】日本最古のおもてなし港・敏馬浦

文:やすかわのりこ 写真:大森ちはる

いきなりですが、以下、灘五郷酒造組合ホームページより抜粋。
「灘五郷を含む兵庫県は採取生産量で全国一位を誇ります。県内でもナンバーワンの生産量を誇る灘五郷は、酒造りに適した風土に恵まれ、水・米・技に優れた『日本一の酒どころ』です。兵庫県神戸市灘区、東灘区、芦屋市、西宮市に位置する『灘五郷』は、西郷・御影郷・魚崎郷・西宮郷・今津郷の総称です」
そんな灘五郷をふらふらと歩き回り、人から人、場所から場所へ。たまには時間軸も超えて、点と点を勝手に結び想像を膨らませる。それが「勝手に灘五郷アースダイバー」です。


敏馬神社の境内の建物の壁面には、絵や写真を交えた資料がいくつも掲示されている。すべて宮司の花木直彦さんのお手製という。こちらは、江戸中期から明治頃の敏馬浦を紹介したもの。現在の景色と照らし合わせて読むと楽しい。

灘五郷の西郷に位置する『敏馬神社(みぬめじんじゃ)』は、阪神電車岩屋駅から約100mの所にあり、御祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)・天照大御神(あまてらすすめおおかみ)・熊野座大神(くまぬにますおおかみ)の三柱。末社は酒造の神様として知られる『松尾神社』のほか、『水(みて)神社』、神功皇后をお祀りする『后(きさい)の宮』の三社。奈良時代の『摂津封土記』の記述から推測すると201年に創建され、現在2020年。ご鎮座されてから1819年が経つ市内最古の神社の一つといわれている。日本で現存する最古の和歌集『万葉集』に敏馬の泊(とまり)について9首詠まれており、大和地方以外でこれだけ詠まれた場所は大変珍しいといわれている。本社は戦争で一度焼失(1945年)したのち再建。阪神淡路大震災(1995年)で倒壊したが、木造建築だったため復元修復し現在の姿があるそうだ。雨上がり、境内の階段を上り高台から見下ろす景色は、二号線を車がブンブン走り、その奥にはコンクリート造の建物群。平安時代以降、白砂青松の美しい海岸・敏馬の浦がここに広がっていたという。境内にある立て札『敏馬の泊・敏馬浦の変遷』の一部に、明治・大正時代は、海水浴場・ボートハウス・お茶屋、料亭・芝居小屋があり大いに賑わっていたようだが、昭和の初め阪神電車のトンネル化の土で海岸は埋め立てられ消滅と書かれてある

ここはかつて、日本最古の国際港

今回は敏馬神社宮司の花木直彦さんのご協力を得ることができた。「宮司歴はたった50年ですよ」とサラリと言い切るクールさと、大学で歴史を学んだ経歴を併せ持つ頼もしい助っ人だ。そんな花木さんが参拝客に向けて作った資料を基に探っていこうと思う。

花木さん「この神社は酒造りとは関係ないのですが、酒蔵の多い西郷にあることで松尾さんを祀っています」

そうなんだ。酒造の神様の松尾神社があるので、灘五郷の酒造りに関係がある神社だと思い込んでいた。資料によると、「大和・奈良時代には、神社の東側にあった『敏馬の泊』と呼ばれる港として、全国に名が知れ渡っていた」という。当時は日中しか航海できない事もあり、大和の飛鳥地方に都があるこの時代は、都人が文化の高かった中国や朝鮮・九州に行くには、この港で一泊するということが常だった。奈良時代の中期に港は『大和田(兵庫)』へ移るが、それ以前は「新羅から来朝した人が都に入る際に、生田社で醸した酒を用いて『けがれを祓い、もてなす』性格を持つ、日本で最古の国際港であった」という。これは灘五郷の成り立ちを考えるのに欠かせない要素の一つかもしれない。良い酒造りに必要な条件として『米・水・人』は、よく聞く話。日本一の酒処といわれる灘五郷の地形から考えてみると、六甲山の南に位置する灘地方には米を精白する六甲山麓の水車の存在、酒造に適した宮水、冬には山を越えてやってくる丹波杜氏に代表される豊かな労働力と六甲おろしと呼ばれる冷たい風。そこへもって、「輸送に適した諸条件に恵まれたため、江戸時代中頃より酒造業が繁栄した」とある。江戸に酒を運ぶ樽廻船業者が集まって、造ったものをすぐに運べる、ばっちこいな環境ができたということかも。

ふり切ったフィクション、残り香にパッション

花木さん「敏馬の浦がある輸送に適したこの地域は、江戸時代中頃から酒造家とお酒を江戸へ運ぶ樽廻船業者がたくさんありました。その頃には資産家の酒造・廻船業家を頼って多くの文人が訪れました。有名な俳人の与謝蕪村やその弟子たちもいらっしゃったのですがね」

突然ですが、私はふと思った。樽廻船業者は、もしかして、モノだけじゃなく情報も運んでいたのかも。例えば、江戸に入れば江戸っ子たちと互いの暮らしや流行話に花が咲く。その時、自分が見聞きしたことを持ち帰り、土産話として地元の人々に私なら話したい。無意識のうちに最新情報発信地という役割を果たしていた可能性も考えられなくはない。与謝蕪村率いるアーティスト集団も噂にききし敏馬の地へ、期待に胸を膨らませやってきたのかもしれない。自然と文化人のたまり場ができ、それぞれに浜の素晴らしさを詠み、その評判を聞きつけた資産家が自分のお気に入りを見つけたとしよう。

資産家: 「蕪村、お前チョー最高!もっと詠んだ方がいいぜ!」
蕪村:  「サンキュー。でも俺、金がねーから続けらんねーよ。笑っちゃうよな」
資産家: 「金のことならモーマンタイ、笑い続けな」
蕪村:  「オーケー、バディ…。俺がアリーナ満員にしてやるぜ!」

かなりふり切ったフィクションだが、与謝蕪村の名が現代も残っているのは『事実』。偶然耳にした曲にまるで雷に打たれたような衝撃を受け、こづかいをかき集め「これは使命だ!」と、レコード屋に走るような純粋な気持ち?惚れ込んだアーティストの作品を残したいという強い思いに、自分に潤沢な資金があれば応援しちゃうかも。そして、実際に今の私たちの目に触れられているものがある。だからといって、何でもかんでも残っているわけではないだろう。もしかすると、彼らはただのボンボンではなく、本物を見分ける目を持っていたのでは?でなきゃ、美味い酒造りも命がけの航海も成しえなかったと私は思う。

なんでやねん。蒲鉾。

実は、『勝手に、灘五郷アースダイバー』の最初のスタート地点は、酒造発祥の地といわれがある生田神社だった。雨がしとしと降る中向かうが、残念ながら宮司さんがご不在のため、会うことは叶わずじまいに。ところで、生田神社にある『生田の森』の中に、『かまぼこ発祥の地の石碑』があるのをご存じだろうか。

初めて見つけた時は「なんでやねん」と、突っ込んだものだ。石碑には、神功皇后がやってきた際、槍の先に魚のすり身を塗り付けて、火に炙って食べたのが事の始まりと書いてある(絶対旨いやつや)。それなら、近くに練り物屋の一軒でも見当たれば良いが、無いとなると納得のしようがない。再スタートを願い、スマホで蒲鉾と灘五郷の繋がりはないかと検索するが、来ました二度目のノーヒット。ここでノーランはアカン!生田神社の正面入り口へ向かい、右手にある松尾神社の末社の前へ。やりました、ホームラン!『灘五郷酒造の発祥の地』を語る石碑から敏馬の地へ私達も足を進めたのだ。ここで蒲鉾問題に戻るのだが、神功皇后は敏馬神社の創建に深くかかわっていたという。ここからは、あくまでも私の妄想ですが、敏馬の港から入った神功皇后が生田神社に向かう際に、港でとれた海の幸をご進物として運ばせ、神様に供えた後にすり身にし、焼いて食べたのかもしれない。その時に食べこぼした蒲鉾が化石で出てきたらいいのにね。
(11月15日は蒲鉾の日。真相を知りたい方は生田の森へゴー!)

西郷の繁栄は美しき敏馬の浦があったから?

樽廻船業者の存在がなければ、江戸で『下り酒』と呼ばれ愛されることはなかったかもしれない。酒蔵で酒を造り、それを江戸へせっせと運ぶ樽廻船業者。いい仕事して、ちゃんと遊ぶ。だとしたら、地域も活性化しただろう。小声で日本酒バブルといいたい気分だ。

花木さん「当時の航海技術は未熟なため出発地点として、また航海から無事に帰ってくる港として、特別の思いを抱いた港であったと考えられます。それゆえに敏馬神社には、樽廻船業者が航海安全を祈願し奉納した6基の灯篭と14篇の絵馬が保存されていますよ」

現在、神戸市有形民俗文化財に指定された絵馬は公開されていない。保管している状態を見せていただくと思いのほか大きい。二人がかりでも簡単には出すことができない絵馬には、航海の安全を祈願し立派な絵が描かれているそうで、込められた思いは並々ならぬものだったように感じる。当時から続いている樽廻船業者があるのか花木さんに尋ねてみたが、それは昔の話で今は名残もないというから残念だ。江戸という大きな市場に船で運んだことで、酒は波の揺れで更に旨みを膨らませ、味にうるさい江戸っ子の舌を虜にしたといわれている。この地域の繁栄は、酒蔵と樽廻船業者の二人三脚を可能にした敏馬の浦があったからかもしれない。だとすれば、航海の無事を祈っていたのは船乗りだけでなく、酒を託す人々もそう願っていたように思う。

花木さん「昔は料亭や芝居小屋なんかがたくさんあって、今の43号線の南側には酒蔵もたくさんあった。海岸線があるときに立っていた鳥居は、道路ができるときに現在の位置に移動されて、阪神淡路大震災の時に倒れてしまった。社務所も全壊して、私も埋もれましたよ。奉納された灯篭も本社も全て倒れてしまった」

「浜は昭和6年頃に阪神電車の岩屋~元町間のトンネル工事の残土で埋め立てられ、神戸製鋼所の工場となり60年間神戸の産業を支えてきた後、阪神淡路大震災により撤退し、HAT神戸として大きく変貌した」と、花木さんは書いている。今見ている景色から、誰かが持っている思い出や知識、いろんなものと体を使って一旦過去に遡り、現在の姿が成り立っていく時間を探るって、たくさん手間がかかるけど面白い。その時は当たり前と、誰も気に留めなかったかもしれないことを何かの形で残してくれた人に感謝し、「歴史の授業ちゃんと受けりゃよかったな」という自分の変化が、また面白いのだ。

敏馬神社
神戸市灘区岩屋中町4-1-8
公式ウェブサイト Wikipedia

執筆者プロフィール

やすかわのりこ(三木市在住・1973年生まれ)
やすかわのりこ(三木市在住・1973年生まれ)
趣味も特技も特になし。これも、わたしらしさと言おう。笑