文: 桂知秋
酒どころの街は日本全国たくさんある。酒蔵めぐりも楽しい。でもあえて酒どころではない街で日本酒を楽しむ旅はどうだろう。そう思いついて週末旅にでかけることにした。行き先の条件は、新幹線で新神戸から1時間以内。道中も日本酒(とアテ代わりの駅弁)を楽しみつつ気軽に行ける距離。見つけたのは広島県の東端にある福山市、観光サイトで見つけたキーワードは「福山城、バラ、鞆の浦」。とにかくいざ、福山へ。
福山城、バラ、天満屋。すぐそこにある親密さ。
新神戸から約50分、予想通り日本酒と駅弁を食べ終わる頃、あっさりと福山駅に到着。さあ、とホームに降り立つなり、のけぞった私。福山城がホームを覗き込むように建っていたからだ。え?観光名物ってわざわざ見に行かせなくてもいいの?!と笑ってしまった。「ウェルカム」って迎えられたみたいで、福山城は私の中で一気にフレンドリーな存在に。ちょっとお邪魔するね、と心の中でつぶやく。
駅から出たら向かうはデパ地下。夜のホテルで楽しむお酒を下見しに行く。お城と駅から反対側、これまた駅を出てすぐ見えるくらいの位置にあるデパート「天満屋」。徒歩五分、天満屋に向かうまでにお店も立ち並び、幾度か旅先で経験した「駅の周りは意外となんにもない」ストレスを感じさせない。
歩いていると目に飛び込んでくるのは「白バラ」という名前のケーキ屋さん、「Rose」というスナック、バラ柄のステンドグラス、そして街角の隙間にはあちこちにバラが当たり前のように植えられている。ちなみになんで福山とバラ?と気になり調べたところ、戦後復興していく街に住民がバラの苗を植えたことから街のシンボルになったそう。福山城と同じく、観光の名物として「バラ」を見に行かずとも、歩いているだけでバラの存在が身近に感じる。
デパ地下のお酒コーナーに到着。ありました、ありました、「天寶一」。「福山、地酒」で検索したら出てきた、福山市に残る唯一の酒蔵。広島県や岡山県他、全国のお酒と一緒に「普通に」並んでいた。オッケー、これで夜もばっちりだ。
福山城、バラ、天満屋、天寶一。「わざわざ」という特別感の代わりにあるものはすぐそこにある親密感かもしれない。理由や理論なんてどうでもいい、「そこにある」ことが大事なときだってある。日本酒の存在のように。
ふと、おじいちゃんとの日本酒の思い出を語ってくれたYさんのお話を思い出した。
お酒を飲むたびに。
「100歳になる祖父にお酒を教えてもらった。お酒というのは日本酒のこと。焼酎やワインはもちろん、ビールも駄目。そういうものを呑んでいたら『そんなもの呑んだらアカン』と残念そうに諭される。今ならとっくに時代遅れだが男ならお酒を飲みなさいと言われた。
家族の揃う正月が特別に好きで僕を横に侍らせ、簡易のガスコンロでお燗して、盃を交わしながら滔々と昔話を語る。
祖父は寝たきりになりもう盃を交わすことは出来ないが、お酒を飲むたびに祖父を思い出すことは出来る。」
街の真ん中の老舗食堂。
少し遅いお昼ご飯は、天満屋すぐ近くにある「自由軒」。昔ながらの大衆食堂という感じ。暖簾をくぐると、コの字のカウンターぐるりと一周、ほぼ満員。少し詰めてもらってなんとか座らせてもらった。とりあえず瓶ビールと目の前にあったおでんを注文して、ゆっくりと店を見回した。さんま定食、ピーマン味噌、お造り、チキンカツ、、、壁にはどこを見たらいいかわからないほどのたくさんの手書きのメニュー。壁にはメニューの他にも、サイン色紙、広嶋カープのポスター、お店の人たちの昔の集合写真で埋め尽くされている。奥には活気のある厨房、こざっぱりと整えられたカウンターの中にはベテランのお母さん。紳士が注文した「中華そば」が目の前を通り、「あ、美味しそう。それちょうだい」と他の客が注文する。雑多な雰囲気、しかも私は誰がどう見ても観光客。なのに心地よい。味も歴史もお母さんもどっしりと安定しているからこその余白。懐が深い、とはこういうことか。
Kさんはいつか、お義父さんの“いつもの酒”の懐に飛び込んだ話をしてくれたっけ。
一升瓶の香住鶴
「妻とまだつきあいはじめの頃。実家に挨拶に伺うことに。兵庫県でも魚が美味しいと知られる香住町で漁師もしているお義父さん。ご自分で釣った魚のお刺身が並ぶ食卓に通され一言、『お酒は飲むんか』。人見知りはあまりしない方、お酒も大好きな自分でもさすがに緊張したけど、『もちろんです』と答えると、『じゃあ』と地元香住鶴の一升瓶がどんと置かれ、普通のガラスのコップにじゃぶじゃぶと注がれるままに呑んだ。おそらく二人で一升瓶ほとんど空けたような。もちろんベロベロに酔っ払い、その時の味も会話も何にも覚えていないけれど、あの時の緊張はまだ残っている。そういえば、お義父さんが家で香住鶴以外の酒を呑んでいるのを見たことがない」
駅徒歩5分の路地裏めぐり。
駅前のホテルに荷物を預け、散歩に。どうせならと明日のパンを探しに駅前をあてもなくうろうろした。メインの商店街から外れ、おそらく昔はもっと栄えていたのだろう一角に迷い込んだ。廃墟とレトロの間くらいのビルが立ち並び、合間合間に若者のおしゃれな店も。タバコ屋やカメラ屋、CDショップ。小さな個人経営のお店がぽつんぽつんと並んでいる。居酒屋は開いてるかわからないほどひっそりと営業し、レトロな喫茶店は現役感がある。ひとつひとつのお店が主張することなく地に足つけて営まれている風景は血が通っていてうるさく感じない。そして飽きない。気がつけば1時間も歩いていた。
初めてのシャコ、初めての天寶一。
石畳のメインの通りに戻り、晩御飯を食べにお店に入った。こぎれいな居酒屋でドリンクメニューを見ると地酒の「天寶一」がずらり。待ってました!といわんばかりにまずはその店オリジナルの「天寶一」を注文。一緒にテーブルにきたのは福山の名物、シャコ。人生初めてのシャコはお酢が上品に効いていて最高のアテに。でも正直に告白すると、そのオリジナルの天寶一はそんなに好みではなかった。でもそんなの関係ない。純米、純米吟醸、と天寶一を立て続けに呑んだ。知らない土地、初めてのお酒。これだけで十分に舞い上がる。
そういえばDさんも同じようなことを話してくれたことがある。
大人の仲間入り。
「大学院生のころ、発表会で秋田に。夜は教授たちと宴会で、隣に座った日本酒好きな教授が注文してくれたのは秋田のお酒、新政。大学生のころは安い居酒屋で銘柄もない日本酒が”日本酒”だと思っていた私は、大人の仲間入りな気がして舞い上がって。日本酒ってこんな味なんだ、、、とびっくりしたのは覚えている。美味しくて楽しくてお酒が進んで進んで。舞い上がって飲みまくった自分もべろべろ。日本酒好きな教授は付き合ってくれる相手がいるのが嬉しかったのか、べろべろ。そして帰りの道で教授はこけて手首骨折というおまけつき。新政はいまでも居酒屋にいくと探してしまう」
ちなみに天満屋でゲットしてホテルで開けた天寶一の「Hisaji」はどストライクだったことも書いておく。
常夜燈を眺めつつ、階段で一杯。
翌日は映画のロケ地でも有名な鞆の浦へ。福山からバスで約30分、着いたのはなんとも穏やかな港町。観光地のはずなのに気だるさを感じないのは看板や旗が極端に少ないからだろうか。バス停から鞆の浦のシンボル、「常夜灯」を目指して散策。町屋のある細い道を抜けて港にでれば向こう側にそれが見えた。手前には漁船が並び、向こうにみえるは灯台と海と島。さて、ここで一杯。となってしまうのは私だけだろうか。港の階段に座り、鞄に忍ばせていた天寶一のお酒を取り出した。その名も「ローズマインド」。バラ酵母仕込みと書いてある。ヨーロッパの花と日本酒?そう思いながら一口飲む。バラの味(もちろん?)が感じられるわけではないが、華やかで透き通っていて好きな味だった。なにより異国をまたぐ存在がくすぐったくておもしろい。
日本酒といえば、と異国の地での思い出を語ってくれたSさんのお話もあったな。
しずる酒器とフランス人。
「大学時代、フランスに一年いたことが。そのときに蕎麦屋でバイトしていた。福井の日本酒を出すお店で、日本酒のオーダーが入ると”しずる酒器”でだすというパフォーマンスつき。酒器に注ぐとおちょこに流れていく姿は日本庭園のようで、フランス人のお客様たちはみんなただただ感嘆詞。日本人の自分としてはそれが誇らしかったのを覚えている」
自由軒、ふたたび。
鞆の浦から福山に戻り、時計をみたら帰る時間まであと1時間。「帰る場所」は心に決めていた。自由軒のカウンターに座ると、お母さんは「あら」と手をあげてびっくりポーズをしてくれた。客はもちろん全員違うが今日もみなさんいい顔でそれぞれが時間を楽しんでいる。
お母さんが「明日もかな?」と帰り際一言声をかけてくれたので「神戸に戻ります」と伝えると、「じゃあまた帰ってきてね」と媚のない笑顔で送ってくれた。