文:山本しのぶ 写真:川本まい
いつからが「大人」なのか。その定義はいつまで経っても難しいけど、敬意を込めてそう呼びたくなる人は確かにいる。そんな「大人」で日本酒を愛する方たちは、どんな若者だったのだろう。お酒も仕事も恋も、しょっぱいも甘いも。全部含めて「若者だったころ」、聞いてみました。
川辺さゆりさん
1964年、神戸市生まれ。30代半ばから介護福祉士として20年働いた会社を早期退職し、2019年、神戸市灘区・水道筋商店街で月替わりでさまざまな日本酒を提供するスタンディングバル「和in」を開く。お店には近隣の住人や日本酒好きが集まり、毎月30種類ほどの銘柄を楽しむことができる。
深夜のキッチンで、ひとり飲む。
若いときは日本酒が苦手で。子どもの頃、父が日本酒をけっこう飲んでて、よく会社帰りに角打ちに寄ってたんです。「たぶんあそこにいると思うから、呼んできて」って母に言われて行くのがとても嫌で。お店に入ってうつむきながら「お父さんいますか」って呼ぶと、酔っ払ったひとが「あれ、お前の娘かぁ」なんて言ってきたりして。当時は純米吟醸のようなお酒はあまり出回っていなくて、店にはつんとした匂いが立ち込めているし、雰囲気も馴染めないし。その頃の印象が強かったので、お酒が飲めるようになってからも日本酒は敬遠してました。
早くに結婚、出産したので、20代は子育てに打ち込んでいました。当時は落ち込むことがあったとき、深夜のキッチンでひとりでこっそり飲んでましたね。そのころは梅酒を飲むことが多かったかな。
「これ、日本酒?」 その瞬間、がらっと変わった。
ちょっとずつ子どもに手がかからなくなってきた28歳のとき、友人に誘われて飲んでいたら、――当時日本酒ブームというのもあったんだと思うのですが――、「越乃寒梅」が美味しいから!ってすごく薦められて。「私、日本酒苦手やから」って何度も断ったけど、それでも「一口飲んでまずかったら残していいからとにかく飲んでみて」って。そこまで言うならって飲んでみたら、「これ、日本酒?」って思ったくらい、香りも味も良くてイメージががらっと変わったんですよね。そこからですね。息抜きも兼ねて、ときどき母に子どもをお願いして、友人と居酒屋に行っては日本酒を飲んでました。子どもが小さいから頻繁には行けないけど、少しずつ日本酒の世界を広げていった感じです。それが結局、日本酒のお店をするまでにつながってますね。
その時に出会えるひと、出会えるお酒と。
あの時ひとりで飲んでいた自分のようなひとのよりどころになれたら。そんな想いもあって30代から20年勤めた介護の仕事をやめてお店を始めました。若いうちに子育てしたから、子どもが独立したら残りの人生好きなことをして生きようという気持ちもありました。だったら、月替わりでいろんな日本酒を楽しめるお店にしたいなって。
苦手に感じていた日本酒をここまで愛せるようになったのは自分でも不思議です。そんなめぐりあわせがあるからこそ、その時に出会って一緒にいてくれるひとたち、その時に出会えるお酒を大事にしたいと思っているのかもしれないです。お店が、誰かにとってのそんな出会いの場所になっていたら、嬉しいですね。
スタンディングバル和in
神戸市灘区水道筋3−3−8
tel:078-801-5780
HP:https://wain-bal.owst.jp
インスタグラム:https://www.instagram.com/wain_bal/